「男子チームで主将」「水族館リフティング」“天才サッカー少女伝説”は本当? なでしこ谷川萌々子本人に聞く「親元を離れて福島に」12歳の転機
パリ五輪、なでしこジャパンの新世代エース候補として名を上げた谷川萌々子(19歳)とはいったい何者なのか――知られざる小学校の“天才少女”伝説などについて聞いた。〈NumberWebノンフィクション/全3回の第2回/第1回、第3回も配信中〉 【レア写真】「12歳のモモコ、グランパスで主将だったの!?」かわいらしいけどスゴい天才少女時代に「魔法みたい」谷川30m弾の連続写真…清楚な薄黄色ワンピの私服姿や欧州での無双も全部見る
お父さんとボールを蹴って、お母さんとは水族館で…
谷川萌々子(19歳)はパリ五輪女子サッカー、ブラジル戦で30mのロングシュートを決めて、サッカーファンだけでなく世間に知られる存在となった。ただ実は……さかのぼること7年前の2017年、すでに地元テレビ局の取材を受けた経験がある。 〈未来のなでしこ〉 そんなテロップとともに紹介されたのは、当時小学6年生、12歳の谷川だった。 谷川がサッカーと出会ったのは2009年、4歳のとき。幼稚園でサッカー教室を体験したのがきっかけだった。父は若いころにサッカーや野球、母は剣道とソフトボールをやっていたこともあって、愛娘にスポーツをさせようとするのは自然な成り行きだった。 「お父さんとたくさんボールを蹴っていたことは覚えています。それと、お母さんがインタビューされている動画を見たんですが……」 その動画では、母親の清加さんが〈水族館に着いて萌々ちゃんを見たら、リフティングしながら歩いていました〉と明かしている。本人にそのエピソードは本当なのかと確認してみると、少し照れ笑いを浮かべた。 「記憶をたどると、確かにリフティングしちゃっていたのかなと」 娘の様子に気づいたお母さんが、すぐボールを取り上げてリフティングはおしまい。本人も反省して、周辺にも迷惑をかけず、魚たちを驚かすようなことはなかったが……それほどまでにサッカーボールに触るのが大好きだった。 そんな少女・谷川は、2015~18年、小学3年生から6年生まで地元のJリーグクラブ、名古屋グランパスのユニフォームに袖を通す。 「正確に言うと、グランパスのスクール選抜のチームだったんです」 パリ五輪後、単独インタビューに応じてくれた谷川は当時について、こう回想する。
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