「人がとても親切。それでいて…」米ピュリツァー賞ジャーナリストが見た福岡
人類の起源から拡散の経路を歩いてたどる。そんな壮大なプロジェクトの下、アフリカ大陸から南米の南端まで約3万3千キロの道のりを旅する米国の著名なジャーナリスト、ポール・サロペックさん(62)が日本を縦断中だ。9月に博多港から日本に入り、ゆっくり歩いて各地の風土や人々の暮らしを見つめるサロペックさんの旅に同行した。 (平原奈央子) 【写真】学生たちと語り合うポールさん 福岡市内で日本の旅の支度を調えたサロペックさん。「よく整備された都市で人がとても親切。それでいて、ちょうどよく放っておいてくれる。取材者としてなるべく透明な存在でありたいのでありがたい」 9月の九州は猛暑日が続いた。福岡市の繁華街を歩きながら、サロペックさんは「地球規模の気候変動を感じる」と汗をぬぐった。福岡県の福津市や宗像市では小道やあぜ道を通って収穫前の稲に注目。「米不足は解消されるのか」と日本の食料事情も案じた。 サロペックさんは時速5キロのウオーキングを心がけている。「このスピードは、新しいものを観察するのにちょうどいい」。長く一カ所にとどまらず、移動しつづけることも「慣れによる見過ごし」を避ける上で重要だという。一緒に歩くうち、気分爽快になり話が弾む。ウオーキングの効果を「歩くとたくさんの出会いがあるだけでなく、気持ちが前向きになってアイデアが生まれ、思索を深められる」と話した。 北九州市内を通り、関門海峡の歩行者用海底トンネルを抜け本州へ。途中、健康のためによくトンネルを往復するという70代の男性に出会った。男性は現役のトラック運転手。サロペックさんは「高齢化が進む日本では年配の世代も重要な働き手。そして海底ウオーキングが日課とは面白い」とうなずいた。 サロペックさんは1962年に米国カリフォルニア州で生まれた。農業や漁業に従事した後に記者になり、ヒトゲノム(全遺伝情報)やコンゴの紛争の報道で優れた報道に贈られるピュリツァー賞を2度受賞。速報や調査報道で経歴を積んだが、ある時、飛行機の窓から風景を見下ろしながら「普段見過ごしている人々の暮らしの中にこそ大切な出来事が起こっているのでは」と思うようになった。 50歳から世界中をできる限り徒歩で旅して取材する「スロージャーナリズム」を始めた。「人間とは何か、生きるとは何か。その根源から知りたくなった」。 これまで旅したのは20カ国以上。人類の祖先ホモ・サピエンスの化石が出たエチオピアから歩き始め、飢餓や貧困を目の当たりにした。アラビア半島ではキャラバンの道を歩いて井戸の尊さを知り、アルメニアでは虐殺の痕跡を見た。現地の警察に職務質問を受けるのは日常茶飯事だ。 中国ではシルクロードの跡をたどって3年をかけて歩いた。朝鮮半島の休戦ライン周辺を歩いてチゲ店の店主に暮らしぶりを聞き、南に下って釜山から船で博多港に入った。 大学生との交流の場もあった。9月11日、サロペックさんは福岡市の福岡アメリカンセンターで学生たちと対話。砂漠や高地などさまざまな風土で暮らす人々との出会いを紹介した。西南学院大2年の木下優希さん(20)が「人々が国や地域を問わず一生懸命生きていて、家族を養う姿に心打たれた」と感想を述べると、サロペックさんは「言葉や文化が違っても人々の日常の考え事や心配事は99%は同じと思う。残り1%が個性であり、火花のようにきらめくそこに物語がある」と応じた。 さらに、旅の原動力は問いと好奇心だと強調。なぜ人は移動するのか。なぜ食べ、生き、愛し、争うのか。「好奇心を持って歩くことで、世界が見えてくる」と語りかけた。 10年以上、自宅に帰らず歩き続けているというサロペックさん。今後、北海道まで歩いて船でアラスカに渡る予定で、旅は終盤のアメリカ大陸に突入する。旅の記事は「ナショナルジオグラフィック」のサイトで公開される。