<解説>小野憲史のゲーム時評 「ゲーム批評」の思い出(番外編) 「パソコン批評」の思い出
超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回は、小野さんが一時期所属した「パソコン批評」時代の思い出を語ってもらいます。 【写真】“ゲーム批評ならでは”の苦労があった表紙イラストの数々
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Windows98発売を翌年に控えた1997年、「ゲーム批評」から姉妹誌「パソコン批評」編集部に異動になった。同じフロアだったが、ゲームとパソコンで文化の違いがあり、「ゲーム批評」を客観的な視点から理解するのに役立った。最大の違いは「パソコン批評」編集部が和気あいあいとして、仲が良かったことだ。「ゲーム批評」編集部が険悪だったわけではないが、総じて「大人」と「子ども」の違いがあった。
これには批評対象と方法論の違いがあっただろう。ゲームの「面白さ」という評価軸に対して、パソコンにはスペックや価格という明瞭な評価軸があった。また、今と違ってパソコンには「さまざまな不具合」があり、「使いにくくて当然」で、メーカーの対応も貧弱だった。そのため製品レビューに加えて、これらの問題を誌面で指摘することが中心になった。こうした理由から、「ゲーム批評」では原稿を巡って喧々諤々(けんけんごうごう)の議論があったが、「パソコン批評」では良くも悪くも、内容に対する議論は乏しかった。
よく覚えているのは「読者がパソコンに求めているのはコストパフォーマンス。余計なアプリをバンドルするくらいなら、まっさらな状態で販売して、価格を下げた方が良い」という編集長の指摘だ。一方で「安かろう、悪かろう」の商品も多く、メーカーの殿様商売が目についた。個人的にも体験版のバンドル合戦で付加価値を上げ、初心者ユーザーを取り込もうとする販売戦略には、疑問があった。
ただ、コストパフォーマンスが絶対だとも思えなかった。ゲーム機の世代交代には、常に新しい提案がつきものだったからだ。今から思えば、そうした提案がiPhoneに結実することになるが、それを予見できたメディアはなかった。パソコン雑誌の編集者やライターは、みなパソコンマニアだったからだ。余談だがiモードが登場したときも、パソコン雑誌は(少なくとも「パソコン批評」は)冷ややかだったように記憶している。