<解説>小野憲史のゲーム時評 「ゲーム批評」の思い出(番外編) 「パソコン批評」の思い出
その一方で新しい動きも生まれた。それがソニーの「アイボ」、ホンダの「アシモ」に代表される、エンタテインメントロボットだ。1台25万円もした初代アイボが、すぐに予約完売した時には驚かされた。そうしたロボットの基盤には、ゲーム、パソコン、ロボット、インターネットなど、業界を超えた技術やノウハウが活用された。自分も勉強会やカンファレンスに足を運び、刺激を受けた。
こうした流れを受けて、自分も限られた誌面をかすめとり、パソコンの可能性を広げるような取材記事を始めた。往年の名機「TK-80」を彷彿とさせるマイコンキットを製造・販売していた中小企業の経営者と、マイクロソフト(現:日本マイクロソフト)会長職にあった古川亨氏に、それぞれのパソコン観について聞く、などは好例だ。読者人気はそこそこだったが、自分なりに新しい方向性が見えた気がした。
また、そうした取材を続ける中で、エンジニアや研究者から異口同音に「ゲームはマニュアルを読ませることなく、子どもから大人まで、幅広い層に複雑な操作をさせていて、すごい」という指摘を受けた。こうした評価は、それまで聞いたことがなかったので、驚かされた。認知科学の分野からユーザーインターフェースの研究が進み、ロボットの研究開発にいかされ始めていたのだ。
たしかにゲーム業界には、「初心者に興味を抱かせ、夢中にさせる」ノウハウが蓄積されていた。そして、こうした視点が「面白い、つまらない」を超えた、新たなゲームの評価軸になり得るのでは、という思いが湧いた。ただ、当時そうした視点を持っていた業界人は、ほとんどいなかった。ゲーム業界では当たり前すぎる考えで、暗黙知として埋もれていたからだ。
そうこうしているうちにマイクロソフトがXboxを発表し、ゲームとパソコンの距離が一気に縮まってきた。一方でゲーム業界ではゲームの大作化と、それに伴う「ゲーム離れ」が深刻な問題になり始めていた。こうした流れを受けて1999年、再び「ゲーム批評」に戻ることになる。「パソコン批評」にいたのはわずか1年半だったが、この時期にゲームから離れて業界を外から観察できたのは、その後のキャリアを振り返ってみて、非常にラッキーだったように思う。