“小学校を退学”になった黒柳徹子さんに、母が見せた態度とは?
校舎が電車! 「この学校に入りたい」
――お母さんが探されたんですか? 母のお友達の画家の子どもが、そこに行っていたんですね。自由が丘ですぐ近くだったので。そこは校舎が全部電車。先生が子どものことをよくわかってくださって、個性を伸ばそうとしている。 ――電車の車両を校舎代わりにしているということですか? そう。昔、省線って言ったんですが、山手線みたいな。あれの車輪のない電車が学校の校庭にバンバンと置いてあって。 私たち9人だったんですよ、クラスが。で、学校に行くとバーッと電車のドアを開けて、ランドセルなんか網棚にのせちゃって、つり革と椅子は取ってあったんですけどね。車掌さん、運転士さんがいるところに黒板があって、机は全部前向きに並んでいるからそっち向きに座って。 窓のところには網戸がついていたんですよ、だから日が差せば網戸を上げたりとかね。ガラス窓にしたり、ガラス窓を開けたり、とってもいい塩梅でしたね。その電車、どうもただでもらっていらしたらしいですよ、先生はね。 ――子どもの自由が結構きく? もちろんです。授業のやり方も全部。で、初めて行った日から、私、この学校に入りたいって思いました。見つけてくれた母に感謝しているんです。 「あなた退学になったのよ。次の学校にもし入れなかったら、どうなるかわからないわよ」って言われたら、私だって緊張したと思いますけど、母は何も言わず「違う学校、行ってみる?」って。 で、私が「チンドン屋さん来る?」って聞いたんですって。本当に反省がないと思ったけど、本人が知らないんだからしょうがない。まあ、行ってみましょうと、その学校へ行ったわけですね。 【黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)】 東京生まれ。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科卒業後、NHK専属のテレビ女優第1号として活躍する。1976年にスタートした「徹子の部屋」(テレビ朝日系列)の放送は、同一司会者によるトーク番組の最多放送回数世界記録を更新中。1981年に刊行された『窓ぎわのトットちゃん』は、国内で800万部、世界で2500万部を超える空前のベストセラーとなっている。2023年には、その続編となる『続 窓ぎわのトットちゃん』が刊行された。1984年からユニセフ親善大使となり、延べ39カ国を訪問し、飢餓、戦争、病気などで苦しむ子どもたちを支える活動を続けている。
黒柳徹子(俳優)