学生バイトの発想?国民民主「年収の壁」対策の不思議
衆院選で自民・公明両党が過半数を割り、キャスチングボートを握る国民民主党が掲げる減税案の扱いが焦点だ。実現すれば7.6兆円の大規模減税となるが、財源は見込めず、高額所得者ほど優遇になるなど問題点もある。また、減税だけでなく「年収の壁」など税制上の問題も挙げているため、誤解を生んだり、わかりにくかったりする面がある。こうした点を解きほぐしていこう。【毎日新聞経済プレミア・渡辺精一】 ◇高所得者ほど恩恵が大きい 所得税は収入から控除を引いた課税所得金額にかかる。会社員など給与所得者は誰でも基礎控除(最大48万円)と給与所得控除(最低55万円)を引くことができるため、年収103万円が課税最低限(非課税ライン)だ。 衆院選で国民民主は「手取りを増やす」として課税最低限を「同178万円」に75万円引き上げる案を挙げた。基礎控除引き上げが念頭にあるようだ。 103万円は1995年から据え置かれ、その間、東京都の最低賃金が1.73倍になったことが178万円(103万円×1.73)の根拠という。 自公は国民民主と個別政策ごとに連携する部分連合を模索する。国民民主は減税案実現を条件にしており、自公は何らかの形で受け入れを迫られる。 現在、年収103万超~178万円の給与所得者は103万円超部分に所得税5%がかかるが、減税案が実現すればゼロになり、年収178万円なら3万7500円の所得減税だ。この年収層は主にパートタイム労働者だが、基礎控除が増えれば、すべての納税者が減税となる。 これには問題点も指摘される。 まず、高所得者ほど恩恵が大きい不公平性がある。基礎控除が75万円上がると、所得税率45%の高所得者(課税所得金額4000万円以上)は年33万7500円の減税になる。 財源も見当たらない。所得税の基礎控除は住民税と連動しており、75万円引き上げると国・地方の税収(所得税+住民税)の4分の1にあたる年7.6兆円の減収となる。 ◇すでに解消された「税制上の103万円の壁」 国民民主は、減税だけでなく税制上の問題を挙げているが、これまでの議論とそぐわず、わかりにくい面もある。これを二つのポイントに分けて考えよう。 第一に、国民民主は減税案を「『103万円の壁』の引き上げ」と位置付ける。年収を103万円以下に抑えていたパート労働者が労働時間を増やして所得を上げる効果を期待するという。 ここで疑問が生じる。「税制上の103万円の壁」は存在しないと考えられているからだ。 「年収の壁」とは、ある年収を超えると税や社会保険料が発生して手取りが減ることをいう。パート労働者は働く時間を抑える就業調整を意識しやすくなる。 現在の焦点は、パート労働者が社会保険に加入する「106万円の壁」だ。 従業員51人以上の企業で週20時間以上働き、年収106万円を超えると、保障の手厚い厚生年金・健康保険に加入する。将来の年金が増えるなどメリットは大きい。 だが、社会保険料分の手取りが減る負担だけが注目されてしまい「壁」と意識されるようになっている。政策として、壁を意識せずに働く時間を延ばせる環境づくりが進められている。 一方「103万円の壁」は「夫に扶養されてパートで働く妻」をめぐる問題として議論されてきた別のテーマだ。 家族の生計を担う人(扶養者)が収入の少ない家族を支えることを「扶養」といい、税制は負担軽減のための控除を設けている。配偶者を扶養する場合、配偶者控除(原則38万円)と配偶者特別控除(最大38万円)がある。 かつては配偶者控除のみで、配偶者の年収が103万円を超えると、配偶者控除を受けられず、世帯の手取りが減る「103万円の壁」があった。 そこで87年に配偶者特別控除を導入し、年収103万円を超えると特別控除に移り、世帯の手取りが減らないようにした。2018年からは配偶者の年収150万円まで控除額を満額に積み増した。こうして税制上、パート妻の「103万円の壁」は解消された。 だが、それでもパート妻が103万円を超えないよう就業調整している実態がある。 考えられるのは「損をする」ことを嫌う心理的要因だ。とはいえ103万円を超えても、年収が1万円増えるごとの所得税負担は年500円と大きくない。制度をあまり理解せず、103万円を過剰に意識する誤解が大きいとみられる。 また、大半の企業が導入する家族手当の存在もある。人事院調査によると4割は家族の年収上限を103万円としており、それを超えると手当が減って世帯の手取りが減る。このように就業調整は税制以外の要因によるとみるのが主流だ。 ◇学生バイトとパート妻は「控除の仕組み」が違う では、なぜ国民民主は「税制上の103万円の壁」を問題視するのか。 国民民主は今夏、学生インターンシップを実施した。そこで「アルバイトで生活費や学費を稼ぎたい学生が、年収の壁で働く時間を抑えている」として「『103万円の壁』を引き上げる」という政策提言があり、急きょ主要政策に取り入れたという。 ここに疑問を解くカギがある。 学生アルバイトは、勤労学生控除を受ければ、年収130万円まで所得税が非課税だ。しかし、年収103万円を超えた時点で親(扶養者)の扶養は外れ、親は特定扶養親族の扶養控除(所得税63万円・住民税45万円)がなくなって税負担が増え、世帯単位では手取りが減る。親が所得税率20%なら17万1000円の負担増だ。 つまり、学生アルバイトには、パート妻にはない税制上の「壁」がある。国民民主の言う「税制上の103万円の壁」とは「学生の目線」ならではの問題意識と考えられる。 だが、パート妻と学生アルバイトとでは、扶養の控除の枠組みが異なる。また、パート妻には社会保険の「106万円の壁」が意識されており、単に課税最低限を引き上げても就業調整の解消は難しいとみられる。一方、学生アルバイトは社会保険の適用拡大の対象外で、そうした制約がない。 国民民主の減税案はこうした違いを説明せず、学生アルバイト固有の課題をパート労働者全体に拡大解釈する点で、誤解を生みやすい。 政策効果の点からも考えよう。「生活費や学費に困る学生がいる」という課題に対し、国民民主案はいわば「もっとアルバイトで稼げばいい」と促す。だが、給付型奨学金の拡充など直接支援なら、学業に専念できる環境につながる。 ポイントの第二は、インフレと課税最低限の関係だ。 かつては物価上昇にあわせて課税最低限を引き上げていたが、デフレに陥り95年を最後に据え置いている。現在は物価上昇局面にあり、国民民主は引き上げを主張する。 これは一定の説得力がある。国の税収は09年を底に上昇傾向にある。最近は物価上昇が大きな要因だが、とりわけ所得税は物価上昇分以上に税収が増えやすい構造がある。 税率区分(ブラケット)は所得ごとに設けており、物価に連動して名目所得が増えると税率の高い区分に移って税負担が増しやすいためだ。これを「ブラケット・クリープ(区分に忍び込む)」という。 ただし、インフレ調整を復活するにしても、現在の課税最低限が適切水準かどうかは、やや異なるテーマだ。 国民民主は、最低賃金の伸びを根拠に1.73倍を示すが、必ずしも物価や賃金を反映していない。23年を95年と比較すると、消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は9%増、常用労働者の1人平均給与は5.4%減とむしろ減っている。 そもそも95年を基準にする根拠も薄い。法理論では、基礎控除などの人的控除は憲法25条の生存権を保障する最低生活費ととらえる。課税最低限の原点に立ち返って適切な水準を定め、インフレ調整ルールを導入するのが現実的だろう。