宇多田ヒカルの母「藤圭子」の人生を変えた“運命の一夜”…健康ランドで歌う“中3の少女”を見出した「銀髪の紳士」の正体
あの出会いがなければ…
当日、生バンドをバックに「出世街道」を歌い上げた圭子を、八洲氏は大絶賛。「東京に出して歌手デビューさせましょう」と持ちかけてきた。一家はこれに命運を賭け、彼女が中学を卒業した5月、50万円で家を売って上京を果たす。 「新宿の女」で衝撃のデビューをし、「圭子の夢は夜ひらく」でトップ歌手の仲間入りをするのは、そのわずか3年後のことであった。 半世紀前を振り返って、三郎は言う。 「実は、上京して半年と経たないうちに、八洲先生と親父は大喧嘩をして、袂を分かちます。そして、妹は石坂まさを先生と出会い、大ヒットに恵まれた。なぜあの日、大御所の八洲先生が田舎町に来ていたのかはわかりませんが、ただ、あの出会いがなければ、妹はヒット曲どころか、歌手になるきっかけもなかったと思います」 その八洲氏は30年前、平成の世を待たずして鬼籍に入った。また、藤圭子も2年前、自ら命を絶ったのは記憶に新しい。 今となっては、岩見沢での邂逅がどんな糸に導かれたものなのか、確かめる術はない。しかし、寂れた北の町での一つの出会いが、一家のみならず、昭和の歌謡史にとっても運命の転換点となったことは紛れもない事実なのである。 デイリー新潮編集部
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