「極論」が勝ってしまう現実…アメリカの何が問題なのか? 立憲主義が民主主義の危機を招くという逆説(レビュー)
少数派がルールを悪用して政治を支配する手口を暴き、民主主義の危機を警告した一冊『少数派の横暴―民主主義はいかにして奪われるか―』(新潮社)が刊行された。 民主主義の崩壊過程を研究している米ハーバード大学の碩学が執筆した本作の読みどころとは? 京都大学大学院教授の待鳥聡史さんによる書評を紹介する。
待鳥聡史・評「立憲主義が民主主義の危機を招くという逆説」
今年11月のアメリカ大統領選挙では、ドナルド・トランプが再び共和党の候補者となっている。彼が初当選を果たした2016年、落選した20年と同様に、選挙は大接戦になるというのが、現時点での大方の予想である。 しかし、そこで争われているのが政策かと問われれば、答えに窮するというのが正直なところだろう。トランプは選挙結果の受け入れを明言せず、民主党候補のカマラ・ハリスの陣営は、トランプを退けることで「民主主義が守られる」と主張する。世界で最も成功した民主主義体制の一つだと自他ともに認めてきたアメリカで、このような選挙戦が行われることは異様といわざるを得ない。 本書において、著者であるスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは、アメリカの政治そのものが異様な状況にあると指摘する。アメリカ社会の実像を反映した、多民族が共存する民主主義への流れが、無理にせき止められているためである。 その大きな理由として著者たちが注目するのが、合衆国憲法を頂点とするアメリカの政治制度である。具体的には、連邦制の下で各州に連邦上院議席数が平等に配分され、それが大統領選挙人の数に影響を及ぼしていること、司法部門の独立性を確保するための連邦最高裁判事の任期無制限、さらには連邦議会上院の議事手続きなどが挙げられる。それらが多数派が明らかに望ましいと判断する政策の実現を妨げ、民主主義に重大な悪影響を与えている。 これらの制度は、多くが過剰な多数派支配(多数派の専制)に懸念を抱いた憲法起草者たちにより設けられた安全装置であり、アメリカの民主主義を長期にわたって安定させた憲法起草者の叡智の賜物だと説明されることが多い。今日、世界的に受け入れられている立憲主義の立場も、アメリカの経験を重要な根拠の一つだと見なしている。 しかし著者たちは、そのような説明は神話に近く、実際には少数派が多数派を抑圧する効果があると論じる。とりわけ、1970年代以降に保守化し、人口動態上は少数派である南部諸州の白人やキリスト教右派の支持に依存するようになった共和党が、民族的多様性を反映した政策を阻止する手段に使っていると厳しく批判する。トランプはそのような流れの上に登場した政治家であり、それゆえに党内主流派は彼に宥和姿勢を示している。 合衆国憲法が制定時に反民主主義的な要素を持っていたことと、今日の民主主義としてのあり方をどう結びつけて理解するのかは、アメリカ政治を考える上で重要なポイントである。著者たちが指摘するように、アメリカに暮らす人々ですら合衆国憲法やその起草者たちを民主主義体制の守護者のように見なすこともあり、残念ながら大多数の説明はこの点を詰め切れていない。 それだけに、比較政治学における制度分析を基礎に据えた著者たちの議論は、現状を把握し理解するための信頼できる視座を与えてくれる。アメリカ政治や比較政治の専門用語も多く使われているが、訳文はこなれており読みやすく、時宜を得た邦訳出版に漕ぎつけた努力に敬意を表したい。 本書は2018年に出版された『民主主義の死に方―二極化する政治が招く独裁への道―』(新潮社刊)の事実上の続篇である。前著は「民主主義のガードレール」といった魅力的な概念を提示し、世界中で受け入れられた。本書も日本を含めた諸外国に有用な議論が多く含まれるが、まずもってアメリカで読まれることを想定していると考えるべきだろう。アメリカには著者たちと異なる理解や説明を与える文献や論説が多く存在し、関心のある読者は望めば容易に併読できる。 日本で本書を手に取る場合にも、著者たちが取り上げていない別のポイントにも目を向けると理解がいっそう深まるに違いない。とくに、共和党とトランプの支持者がグローバル化の負の側面に冷淡な民主党に対して抱く批判的な感情や、リベラル派の一部に顕著なキャンセルカルチャーが呼び起こす反発などについても把握しておきたい。たとえば、フランシス・フクヤマ『リベラリズムへの不満』(新潮社刊、2023年)と読み比べてみるのも有益だろう。 [レビュアー]待鳥聡史(京都大学教授) まちどり・さとし 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
新潮社