ジョン・レノンが死の2日前に語った『イマジン』誕生の秘密…悲劇と出会うことで成長した名曲はなぜ今も歌い継がれているのか
『イマジン』の運命を決定づけた9.11
『イマジン』が世紀を越えて歌い続けられる契機となった決定打は、発表から30年後の2001年9月11日に起きた同時多発テロだった。 NYの貿易センタービル爆破のあと、アメリカでは一挙に国家主義の気運が広がり、イラク攻撃の支持は90%に達した。 アメリカの大手ラジオ局のネットワークでは、放送に不適当な150曲がリストアップされ、そこに『イマジン』も入っていたが、一方では多くのリクエストも寄せられていた。 犠牲者への追悼コンサートが開かれた9月21日、ニール・ヤングが歌った『イマジン』は大きな反響を呼んだ。 9月23日のニューヨークタイムズには、広告主の名もないこんなメッセージ広告が掲載された。 “想像してみよう、みんなが平和に暮らしているところを。” ニューヨークタイムズ社にはすぐに多くの問い合わせが入り、広告主がオノ・ヨーコであることが分かると、波紋を呼んだ。 街中では大規模な反戦デモこそ行われなかったが、セントラルパークで静かに『イマジン』を歌いあう人々の風景がニュースなどで伝えられ、この歌の存在がますます印象づけられていくことになった。 日本では、「どんな些細なことでも夢を持つこと。それが世界を変えていく大きな力となるのです」というオノ・ヨーコの提唱により、教育に恵まれない世界の子どもたちを支援するチャリティ・コンサート『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』が、2001年から2013年まで開催された。 過去13回のコンサートに参加した日本のアーティストは194人、支援した学校は29か国124校にもなる。 とりわけ2007年12月8日、日本語の『イマジン』を育ててきた忌野清志郎が歌った9分以上に及ぶテイクからは、この歌に対する万感の思いが伝わってくる。 ジョンは死の2日前のインタビューで、『イマジン』はヨーコとの共作のようなものだと話している。 なぜならそのイメージは、『グレープフルーツ・ジュース(Grapefruit)』という、ヨーコが1964年に出版した詩集から取られているからだ。 そこにはこんな言葉が並んでいた。 “空が泣いていると想像(イマジン)してごらんなさい” “あなたは雲だと想像(イマジン)してごらんなさい” 2017年6月17日。ニューヨークで開催された全米音楽出版社協会の式典で、『イマジン』は20世紀を代表する楽曲として、センテニアル・ソング賞に選ばれた。さらにこの曲は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作であると発表した。 『イマジン』が発表されてから、すでに半世紀が過ぎた。未だにこの楽曲が必要とされている世界に、ジョンは何を思っているのだろうか。 人々は今日を生き、相変わらず争いを繰り返している。おそらくだからこそ、『イマジン』は、いつまでもこの世界に流れることになるのだろう。 文/TAP the POP サムネイル/Shutterstock
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