なぜ目黒蓮“夏” は周囲から責められるのか? 結末のカギを握るセリフとは? ドラマ『海のはじまり』第11話考察レビュー
誰かのせいにしたい心の葛藤
夏を見ていると、あまりにもしんどくなるため、つい水季にヘイトを向けそうになっている自分がいる。 というか、「中絶同意書にサインをさせておいて、なぜ産んだのか?」「夏から選択肢を奪いたくなかったのなら、なぜ海に父親の存在を教えたのか?」「そもそも、なぜ中絶を決める前に夏の意見も聞こうとしなかったのか?」と、水季へのクエスチョンが数えきれないほど出てくる。夏がいま置かれている状況は、水季にイライラをぶつけたところで何も変わらないのに。 もしかしたら、朱音や津野も同じ気持ちなのかもしれない。大好きな水季がこの世にはいない悲しみを、どう乗り越えればいいのか分からなくて、“何かのせい”にしたくなってしまう。だから、関係のないことまで“夏のせい”だということにして、イライラをぶつけているのではないだろうか。 夏を敵視したところで、水季が戻ってくるわけじゃない。そんなことは分かっていても、ぶつけるところがほかにはないから。
「いなくなるのって、消えることじゃないですよ」
また、第11話は言葉のむずかしさを感じた回でもあった。たとえば、夏が海にかけた「無理に水季の話しなくていいからね」という言葉。これは、海が水季のことを思い出してしんどくなるのなら…という意味を込めて言ったのだと思うが、海は「水季の話、しなくていいよって(言われた)。ママのこと、忘れた方がいいの?」とまったく違う意味で捉えてしまう。 そして、「いる、いない」と「いた、いなくなった」も、同じことのようでまったく異なる。 海は、転校先の小学校でできた新しい友だちに「ママ、いないの?」と聞かれたとき、「いない」と答えるのが苦しいのだと思う。だって、つい最近までママは一緒にいて、ママがいた事実は変わらない。それなのに、なぜ「いない」と答えなければならないのか。海は、「いない」と答えるたびに、水季との思い出までなかったことにされてしまう怖さを抱いていたのかもしれない。 それなのに、夏は「ママいないけど、パパがいるって言えばいいんだよ。俺がいるから」と言う。「ママはいない人なの?」と聞かれたときも、「俺は、いなくならないから。2人で頑張ろう」と言い、海を励ます。どちらも、正しい答えだ。でも、優しくはない。 脚本家・坂元裕二が紡いだ台詞に、「いなくなるのって、消えることじゃないですよ。いなくなるのって、いないってことがずっと続くことです。いなくなる前より、ずっとそばにいるんです」というものがある。 わたしは、この台詞がすごく好きだ。亡くなったとしても、その人がいた事実がなくなるわけじゃない。むしろ、生きていたときよりも、そばに感じられることだってある。 海は、きっと「ママはいたし、これからもずっとそばにいるよ」と言ってもらいたいんだと思う。無理に切り替えて前を向くのではなく、悲しみが薄れていくまで、その悲しみを抱えたまま生きていけばいい。 そして、ちょっぴり寂しいかもしれないけれど、悲しみはずっとは続かない。“時間薬”という言葉があるように、時間が流れていけば癒されていくものだ。海に現実を教えるのは、そうなってからでも遅くはないような気がする。 【著者プロフィール:菜本かな】 メディア学科卒のライター。19歳の頃から109ブランドにてアパレル店員を経験。大学時代は学生記者としての活動を行っていた。エンタメとファッションが大好き。
菜本かな