「3.11」そのとき芸能界は タレント個人でも支援の輪
東日本大震災から11日で9年。当時芸能界も予定されていた芸能イベントが軒並み中止になるなど大きな影響を受ける中、芸能人らによる募金や義援金寄付、救援物資輸送など、事務所レベルでも個人レベルでも支援の輪が広がった。振り返ってみたい。 【写真特集】帰宅難民、計画停電……「3.11」直後の東京
通常の芸能イベントは軒並み中止・自粛へ
2011年3月11日午後2時46分頃、三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で深さ約24kmを震源とする地震が発生。ちなみに筆者はその時、18F建ての赤坂ツインタワー(2015年、老朽化により解体)の15Fにあったメディアの編集部で仕事をしていた。東京でもこれまで体験したことがないような強く長い揺れに驚いたが、当時約100万円した地上波各局の番組を同時視聴できる液晶テレビが倒れないよう慌てて押さえたのを覚えている。そのときを境に、普段は芸能ニュースを中心に配信するメディアであるにもかかわらず地震関連の速報、続報を次々と報じた。交通機関が止まり、会社の社員は多くが帰宅困難となり職場に泊まった。 そしてその当日あるいは翌日から芸能イベント中止の知らせがFAXやメールで届いた。首都圏の被害自体はもちろん東北と比べれば小規模なものではあったものの、国民的な非常事態におめでたい発表などをしている場合ではなく、芸能イベントが復活し始めたのも通常のイベントではなく震災のための募金活動などからだった。
寄付や募金、現地入りしての支援活動も
芸能界でも支援の輪が広がった。ここにすべてを書ききることはできないが、事務所や関連団体を通しての支援もあれば、個人としての支援もあった。被災地への義援金の寄付や飲料水をはじめ物資の寄贈をするアーティストやタレントもいたし、レディー・ガガら海外の芸能人たちからも多数の支援があった。昨年11月に亡くなったKARAの元メンバー、ク・ハラさんもその一人で、グループとしての寄付とは別に個人で1億ウォン(約730万円)を寄付している。 また、早くから被災地入りした芸能人もいた。たとえば江頭2:50は2トントラックを自身で運転、福島県いわき市の避難所に援助物資を届けた。はるな愛は震災のあった3月中に2度、福島県入り。物資を届けるとともに炊き出しを行い、被災者を激励している。1988年から福島県いわき市に移住していたケーシー高峰さん(2019年没)は夫人とともに、原発事故から避難してきた人々を炊き出しで元気づけたり、衣類を提供するなどの支援活動を行った。