世の中を“応援芸”でポジティブに! 慶大「応援指導部」出身のピン芸人「梅田元気よく」が明かす“伝統の慶早戦”秘話
慶大応援指導部の伝統
応援団、応援部と、大学によって名称は異なるが、慶応大学は「応援指導部」。応援部員の他に吹奏楽団と、チアリーディング部の「メジャレッツ」からなる。部の歴史は古く、結成は1933年。90年を超える歴史を誇っている。 一般に「大学の応援団」と聞くと、袴のような太いズボンに膝まである長ラン(長い学ランの意)。あるいは袴に下駄をはき、巧みな発声・発音で「押忍の五段活用」ができるのではと想像しがちだが、慶応大学は違うという。 「慶応は他大学の応援団に比べて、スマートと言われていました。髪は整髪料でしっかりと固めて七・三分けかオールバック。角刈りやパンチパーマ、坊主頭は“不適切”です。袴や下駄もはきません。学生服の襟も標準サイズですよ」 神奈川の県立高時代は演劇部だった。慶大法学部政治学科に入学後、演劇サークルにでも入ろうかと考えていたが、入学式で見た応援指導部のパフォーマンスに魅了され、入部を決意。しかし、待っていたのは地獄の猛特訓だった。 「野球の試合なら3時間は立ちっ放しで声を張り上げていないといけない。走り込みや筋トレなど、基礎体力の鍛錬は徹底していました。高校時代、野球部や陸上部の経験がある部員も音を上げるほどでした。特にランニングは、順位を競うのではなく部員全員で走り切ることに意味があります。応援指導部の用語で“ボツ”と言いますが、遅れていたり、辛そうにしていたりする仲間に声をかけて鼓舞し合うのです。ずっと話しかけていると、最後は何も言うことがなくなって、“今日、昼飯、何食った~?”なんて言っていました(笑)」
慶応大学ながら「早稲田マラソン」なる特訓もある。早慶戦は慶応大学では「慶早戦」というが、その直前、港区三田の慶大キャンパスから新宿区早稲田の早大キャンパスまでマラソンで走る。その際、一年生は「志望T」を着ないといけなかった。 「僕の場合、白いTシャツの前後にマジックペンで“1年リーダー志望 梅田”と書いたのを着て走りました。六本木を経由して早稲田まで行くのですが、会社帰りの通行人に『梅田、頑張れ~!』と励まされたこともあります。早大キャンパスに着くと、早大応援部員が待っていて、彼らの前で慶応の応援歌『若き血』を歌います。早大の部員から『声が出てねぇぞ!』『お前ら、気合い入っているのか!』と挑発が入る。終わると早大から『次の神宮、楽しみにしているよ』と言われて帰るのですが、翌日、今度は早大の応援部が慶應キャンパスまでマラソンで来て、早大の応援歌『紺碧の空』を歌い、前日と同じことをするのです」 伝統の慶早戦の前から、エールの交換は行われているのだ。ちなみに慶大では「学生」ではなく「塾生、注目!」となり、「校歌」ではなく「塾歌」。「校旗」も「塾旗」になり、「学帽」も「塾帽」に。ということは、着ている服は……、 「いえ、これは“学ラン”ですね(笑)。学生服とも言っていました。塾はつきません」