フランス政変の行方――盟友バイルー新首相が導くマクロン政権の終焉の始まり
フランスでは少数与党連立政権のバルニエ内閣が、議会から不信任を突き付けられて総辞職。マクロン大統領は、代わりに中道派の盟友、バイルー民主運動党首を新首相に任命した
ことの発端は、年末の予算審議における議会と政府の対立にある。【山田文比古(名古屋外国語大学名誉教授)】 「50メートルごとに監視カメラ」...フランス人TikToker、中国のビーチで驚愕...動画に賛否 そもそも、6月の議会解散とそれに続く総選挙の結果、新議会ではマクロン大統領支持派の中道連合は少数与党にとどまり、右派(共和党)のバルニエ元EU欧州委員会委員を首相に迎えて、ようやく中道派と右派の連立政権が成立していたが、それでも議会で絶対多数には至らず、少数与党にとどまっていた。 そうした中で、来年度予算案の議会審議が野党の反対で紛糾し、年内成立の目途が立たなくなったことから、バルニエ内閣は、予算案を強行採決する方針を固め、憲法上認められた内閣の強権的立法権限(予算案や法案の採決と内閣不信任決議をセットにして、後者が可決されなかったら前者は可決されたとみなすという、フランス第五共和制独特の制度)を発動して強行突破を目指した。 これに対し、絶対多数を占める左派(社会党など)・左翼(メランションの不服従のフランス)と右翼(ルペンの国民連合)の野党が一致して、内閣不信任決議を可決し、政府予算案を葬り去るとともに、バルニエ内閣の総辞職をもたらしたのだ。 窮地に陥ったマクロン大統領は、後任の首相を選任せざるを得なくなり、再び不信任されることのないよう、右派から左派までの幅広い政治勢力から支持される、あるいは少なくとも不信任を突きつけられる可能性のない、政治家を探し求めた。 中道派だけでなく、右派穏健派や左派穏健派を含め、複数の政治家の名前が取り沙汰されたが、左派系の政治家には右派の反発が予想され、右派系の政治家には左派の反発が予想されるという袋小路の中で、マクロン大統領は12月13日、右派とも左派とも折り合いの良い、与党中道連合を構成する民主運動(MoDem)のバイルー党首を首相に任命すると発表した。 バイルー新首相は、マクロン支持の与党中道連合を中核にして、左派の穏健派から右派の穏健派までを含めた、幅広い与党連合の連立政権を目指すと見られている。 しかし、政治的に鋭く対立する左派と右派を含めた組閣には困難が予想され、仮になんとか連立政権が成立したとしても、実際の政権運営や政策調整は、連立各党の妥協に頼るしかなく、政策面でも連立各党が最低限合意できる範囲でしか決定・実行できないのは目に見えている。 このようにそもそも政治的主導権を奪われているマクロン=バイルー政権は、当初からレームダック状態でスタートすると言わざるを得ない。 【大統領としての指導力を喪失、しぶしぶ任命】 しかも、マクロン大統領は、先の議会解散と総選挙における敗北以来、すっかり大統領としての指導力を喪失しており、今回のバルニエ首相の後任選びにおいても、自らが望んだ股肱の臣を選任することができず、中道連合の重鎮、バイルー党首に押し切られる形で、同党首自身を新首相に任命せざるを得なかった。 バイルー党首は、マクロン大統領が初めて選出された2017年の大統領選挙において、自らの立候補を取り下げ、マクロン支持に回って、中道派をマクロン支持で一本化し、マクロン当選に大きく貢献した。 その時以来、マクロン政権下で常に自他ともに認める首相候補と見做されてきたが、マクロン大統領の選ぶところとはならず、法務大臣などの処遇ポストに甘んじてきた経緯がある。 今回の首相選びにおいても、政界やメディアでは早くから本命と目されていたが、マクロン大統領は最後まで、バイルー党首以外の選択肢を模索し続けた。 新首相決定の最終段階でも、マクロン大統領はバイルー党首に対し直接、改めて、同党首を首相に選任するつもりはないと伝え、失望した同党首が、それではこれまでの盟友関係をご破算にするとまで述べて、翻意を迫ったことでようやく、マクロン大統領も折れて、同党首を首相に選任することになったと報じられている。 結局、しぶしぶ任命した形になっているが、マクロンが最後までバイルーを忌避し続けたのは、なぜか。