「私は今とても幸福です」 新幹線殺傷事件、小島一朗・無期懲役囚からの手紙
●「この世のどこにも居場所がない」
<この世のどこにも居場所がない。けれども人は生きている限り、どこかに居なければならない。私はあの世を信じているから、死んだとしても苦しみや悲しみは終わらない。死というのは、この世からあの世へと移ろい往く事に過ぎない。どのような死に方でも死ねば同じだとは思わない> <私は死にたい訳ではないのだ。餓死がしたいのだ。食事も衣類も寝具も要らない。私に必要なのは、餓死できるまでの間、私がそこに居てもよい、空間と時間だけなのだ> <私はホームレスをしたり、精神病院にいたりした頃に、こんなことをして、そのまま餓死できればよいが、もし、別の生き方をしなければならなくなった時、頭も体もどうにもならなくなっていたら、誰が私の世話を、私の面倒を看てくれるだろうか、と不安だった> <けれども、いま私は安らいでいる。刑事施設なら、頭も体もどうにもなくなってしまった私の世話を、私の面倒を、死ぬまで看てくれる。だから、私は、どこまでも、自分を破壊できるのだ>
●「日本の刑務所には希望がある」
<無期囚から死刑囚へとなることは、現実性があるが、死刑囚から懲役囚へとなることは、現実性がない。無期囚は十分にやったので、もう死刑囚になっても構わない> <死刑と無期は、死ぬまで、国が面倒を見てくれる。有期は、時が経てば、出されてしまう。有期刑の人が保護室に年単位で入りぱなしの場合、国はなんとか刑期が終わるまでは生きていてくれさえすればいい、という扱いだ。しかし、無期は、死ぬまでの数十年間、ずっと国に重い負担をかけるのである> <日本の刑務所は素晴らしい。ここにはまだ希望がある。私はもっとたくさん人を殺すことができたが、そうはしない。できないから、やらなかったのではなく、できるがやらなかったのだ> <もし、日本がアメリカやフランスみたいだったら、無差別殺人犯はその場で射殺であり、裁判を受けることすらできなかったであろう。だから、そうだったら、大勢を殺していたであろう> <死ぬまで刑務所に居てもよい、無期でこそ、私と国は一つとなる。私の損失は国の損失である。有期では、こうはならない>