有村藍里「妹とは好きなものが正反対だった」母に聞いた、子どもの頃の話
こんにちは、有村藍里です。 今日は母の日ですね。 子どもの頃は母宛に感謝の手紙を書いたり、お小遣いでお花を買ってプレゼントしたりしていたように思います。現在母は関西に住んでおり、私は東京。なかなか会える機会も少ないので、今年はプレゼントを贈りました。 【写真】有村藍里の子どものころの写真を見る! 母の日エピソードがあまり記憶にないので、母に私が子どもの頃の話を聞いてみました。
20代前半で私を産んでくれた母。子どもの頃の私は…
20代前半で私を産んでくれた母。大病院で1人で長時間の陣痛に耐え、大変だったようです。生まれたときにどう思ったんだろうと聞いてみたところ、「やっと出会えた! はじめまして!」と思って、それまでの陣痛など、しんどかったことがすべて吹き飛んだそうです。 名前の由来を聞くと、「あ」から始まる名前がよかった。名付け本を見て可愛いと思ったから。漢字は字画を見て「藍」という字が良かった、とのこと。 赤ちゃんだった時のことを聞いてみると、とにかく我慢強かったと。注射の時も我慢して泣かなかったらしく、特に病気もせず、身体も強く、元気に育っていたそうです。
私が1歳になった頃に母が仕事を始めることになり、私は曽祖母にあずかってもらうことがよくありました。 私の記憶に残っているのは、曽祖母が妹を乗せたベビーカーを押してくれている姿。よく公園に遊びに連れて行ってもらっていたこと。売店でカップラーメンを買ってもらって、その場で食べたのがすごく美味しかったこと。公園の近くにあるたこ焼き屋さんでたこ焼きを食べたこと。そして、そのたこ焼きが今でも一番好きなこと。 妹が歩き回れるようになってからのことをよく母が話してくれるのですが、妹はお茶目で元気いっぱいな性格で、お出かけすると大はしゃぎ。いなくなったと思ったら溝に落ちていて、頭から血を流していたことがあったり……。とにかくいつも走り回っていて、元気すぎてよく頭をぶつけて血を流していた印象です。 私は当時、「とんでもない妹だ……」と思っていました(笑)。 そんな私は私で、夜中によく怖い夢を見て泣きわめいて大変だったみたいです。そんな時はドライブに行ってなだめてもらっていたようで……。 そのことは記憶に一切ありません……。ただ、夜中にドライブに行ってもらっていたことは少しだけ覚えているような。 当時、お友だちはたくさんいたそうです。色々な子たちが遊びにきてくれていたらしく、周りのママさんたちにも好かれていたらしい。私はまったく覚えていないけれど……。小さなころの私はコミュニケーション能力が長けていたようです(笑)。