「胸が大きいから芸能人になれるよ」 チャラ男に声をかけられ20歳でデビュー、わずか1年で「レギュラー5本」
きっかけは「邦子がタッチ」
――そこに出ていたんですか。 はい、オーディションを受けて、その“ぽっちゃり枠”20人の1人に合格しました。その中で、私が偶然一番の巨乳だったので、“巨乳対決”のような雰囲気になって、すごく使ってもらえたんです。 ――どのような姿で出演したのでしょうか。 水着で出ていました。最初は上着を羽織っているんですが、生放送が始まったら、「じゃあ、みんな脱いでください」と言われて、水着姿になるんです。そこで、体重を測って、 前の週よりも1グラムでも増えていたら警告カード。それが3枚出たらレッドカードで出演ができなくなるんです。それを生放送でずっとやっていました。 ――今では考えられない企画ですね。 はい、生放送で20人が水着になっていました。ただ、その後すぐに“巨乳ブーム”が来たんです。事務所も巨乳に力を入れていて、「邦子がタッチ」の出演をきっかけに、グラビアなどの仕事が一気に増えていきました。 ――その後の「出動! ミニスカポリス」「ギルガメッシュないと」(ともにテレビ東京系)の出演につながっていくわけですね。 そうです。デビューして1年ぐらいで、5本のレギュラーが決まってくれました。やっぱり、“巨乳ブーム”に乗れたことが大きかったですね。 ――当時は遊ぶ暇もないくらいでしょうか。 いえ、仕事終わりに、グラビアアイドルの子たちと合流して、遊んでいましたよ。朝まで渋谷のボーリング場で遊んだり、友達のお店でお茶したり、クラブに行ったり。友達と3人で同じジムに通って、ロッカーを共同で使ったりもしていました。そこでは、変な男性に遭遇したこともありました。 ――変な男性ですか。 私たちがマシーンでトレーニングをした後、その器具を使うフリをして、においをかいだりしていたんです。友達と「あの人、またついて来た。怖いからプールに移動しよう」と言って、プールに行くと、その人が先回りしているんです。泳いでいると、後ろから泳いでついてきたりして……。 ――怖いです。 そのジムはジャグジーのような混浴の露天風呂もついていて、そこにもその男の人がきていました。そのお風呂はまたぐようにして入るのですが、そのまたぐシーンを見るんです。もう気持ち悪くて、ジムの人に「あの人、気持ち悪いです」と伝えたら、いなくなりました。 ――色々あったんですね。 友達は家に消印なしのお手紙が届いて、家がバレていることがわかったりして……。怖い思いもしましたが、友達と遊んでいるときは楽しかったです。 第1回では、所属する事務所が突然、倒産してしまった時の様子を振り返っている。 ■大原がおり 1976年、東京都八王子市出身。1997年、3代目ミニスカポリスに就任。CM、バラエティ番組などで活躍する。2005年、ドッググッズブランド「Otty(オッティ)」を設立。 デイリー新潮編集部
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