俳優・佐野史郎さんがメディアで初めてクルマとの思い出を語る! 懐かしの国産旧車、そして少年時代の自分との約束とは
頑なに守り続けている自分との約束
「しばらくはキャロルに乗っていて、次にわが家にやって来たのがトヨペットの『クラウン』です。丸い目が4つ付いていたタイプですね」 佐野さんに、1962年から1967年まで生産された2代目クラウンの写真を見せると、「そうそう、これです、これ」と、大きくうなずいた。 「その次がやっぱりトヨペットで、今度は『コロナ』でした。フロントのグリルが斜めになっていたのを覚えています。 アローラインと呼ばれた、ノーズのラインが特徴的だったのは、1964年から1967年まで生産された3代目コロナだ。 「クラウンにしろコロナにしろ、デザインに特徴があるクルマだからいまでも覚えていますね」と、佐野さんは納得した表情を見せた。 「当時は、アニメの『スーパージェッター』に登場する流星号とか、『マッハGoGoGo』に登場するマッハ号とか、ああいう流線型のスポーツカーを格好いいと思っていました。あと、とにかく日野『コンテッサ』が好きでしたね。ちょっと斬新で個性的なツラ構えで、本気で欲しいと思っていました。だから、そのまま普通にいっていれば、クルマ好きになっていたはずですが……」 ここで、佐野さんがクルマを封印する理由となった、悲劇が起こる。 「父がクルマに乗るようになって、それまで二輪に乗っていた祖父も運転免許を取得したんですね。50歳代の後半か、もう60歳代になっていたのか……。それが、僕が中学2年生の時に、交通事故で亡くなったんです。原因は脳溢血だったとも言われましたが、トラックにぶつかって即死でした。そこで、クルマを運転すると交通事故に遭うんだ、と、刷り込まれました。自分の性格と照らし合わせても、長い人生で事故を起こさないわけがない、と、思いました。もともと危ないものには近寄りたくないという臆病な性格でもあるので、12歳のその時に、一生、運転免許は取らないと強く決意してしまったんです。誰に頼まれたわけではないけれど、クルマに乗らないという少年時代の自分との約束みたいなものを、頑なに守り続けているわけです」 その後、1992年にドラマ『ずっとあなたが好きだった』が大ヒットするまで、佐野さんはひとりで電車に乗り、撮影現場に通ったという。ところがブレイクしてからは、電車に乗ると大騒ぎになってしまい、やむなく移動用のクルマを用意することになった。 後編では、仕事での移動用に佐野さんが選んだクルマや、好きな映画に登場する思い出のクルマなどを語ってもらう。
【プロフィール】佐野史郎(さのしろう)
1955年3月4日、島根県松江市出身。1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」の旗揚げに参加。退団後、唐十郎が主宰する「状況劇場」を経て、1986年「夢みるように眠りたい」(林海象監督)で映画デビュー。以降、数多くの映画・TV・舞台に出演するほか、写真、執筆、音楽、など多方面で活躍中。 文・サトータケシ 写真・安井宏充(Weekend.) ヘア&メイク・Ryo スタイリング・間山雄紀(M0) 編集・稲垣邦康(GQ) 撮影協力・マツダ