「修羅場をくぐって来た私も“人生、終わった”と思った」日本初の「女性暴力団員」と認定された女性がもっともヤバいと思った瞬間
現代ヤクザは、義理人情関係なしの詐欺ばかり
――40歳の前半で古巣の組に戻りますが、これはなぜ? 実は子どものためにカタギになろうと、30代で専門学校に通い、介護2級と医療簿記の資格を取りました。しかし介護者の「入浴介助」で、八分袖の墨(肩から肘と手首の中間まで入った墨)がバレて、「入れ墨が入っている人は雇えない」とお払い箱になりました。何度かチャレンジしましたが、採用に至ることはありませんでした。 そんなこんなで紆余曲折あって、簡単にお金になるシャブ屋を再開していました。旦那は家にお金を入れないので、一家の稼ぎ頭は私でした。子どもも大きくなっていて、私がパケ分け作業(薬物の袋分け作業)をしていると、もの問いたげな顔をしていましたね。 来る日も来る日も、ポン中を相手にし、パケづくりをしていると、そんな生活に嫌気がさしてきました。性に合わなかったんですよね。それでふとヤクザに戻ろうかなと思い、組の幹部に電話しました。 ――西村さんが住吉会系で、旦那さんが山口会系で、敵対する組織が同居するのは、ヤクザの歴史上初めてじゃないんですかね。漫画の設定というか、ロミオとジュリエットみたいな関係性……。 まわりからは「ありえない」って驚かれました。でも家で旦那は寡黙だし、私もそんなことに興味ないし、お互い干渉せずに暮らしていました。 ――ヤクザに復帰してみて、充足感はありましたか? ないですね。戻ったときは、ヤクザ業界は詐欺ばっかりでしたね。1回目にやっていたときは詐欺なんかなかったんですよ。例えば、貸主からの依頼で、悪い奴から借金を取り立てして、気分は正義の味方ですよ。でも2回目にヤクザに戻ってからは、人をだまくらかして、お金を取っているだけにしか思えなかったもんで、自分には合わないのでまたやめました。
50代で最後の壮絶なケンカ
――ヤクザ業界から完全に足を洗って、最近、熱中していることはありますか? 元山口組系「義竜会」の会長だった竹垣悟さんのはじめた五仁會(暴力団員の更生と、地域社会から犯罪を防止する取り組みをするNPO法人)の活動に懸けています。 刑務所から出所した人たちの更生と再犯防止の手助けになればと、岐阜市中心部で清掃活動に取り組んでいます。元ヤクザが雑談できる、楽しい場所を作ることでクスリや犯罪に関わらず生きることを願っています。 ――ところでふだんはテレビや映画って見ます? サブスクになりますけど、最近だとネットフリックスの『日本統一 北海道編』(任侠もの)を見ましたね。YouTubeも見ていて、健康系のチャンネルに勧められ、嫌いだったトマトジュースを毎日飲むようになりました。 ――ムチャやってきましたが、やはり健康が気になるようになりましたか? 手にしびれが走ったり、背中とか首、体のあちこちが痛かったりで。頭の骨も飛び出していますし。 ――大変じゃないですか。どうしたんですか? 50代前半のときに、私の家で居候をしていた40代の元ボクサーとケンカになりました。彼は仕事を見つけることができず、家でゴロゴロしていて、ある日、居候のくせに家事に協力せず、反抗的な態度をとってきたんです。それでつかみ合いになり、私は蹴りを食らわせようと足を上げたところ、床でスベって転んでしまって、こたつの角で胸を強打し、あばらが折れました。 それから男は馬乗りになり、腹筋ローラーで頭や背中を殴打してきて、私は意識を失いました。気が付いたら病院。目は真っ赤で、顔が腫れ上がりあざだらけ。幽霊みたいな見た目になっていました。修羅場をくぐって来た私も「人生、終わった」と思いましたし、警察からは「死ぬと思っていた」と言われました。結果、男側の傷害となり、私は勾留満期の22日間で留置所を出ました。 ――最後にお聞きしたいのですが、もし生まれ変わるとしたら次は何になりたいですか? 女だったら刑事。格好いいじゃないですか。組対(組織対策部。昔のマル暴)に行きたいですね。ヤクザにオラオラって言ってガサ入れたいです。拳銃持ってバチバチやりたいですもん。 ――警察だったとしても、拳銃持ってバチバチはダメですよ(笑)! 取材・文/集英社オンライン編集部