夏祭り「長野びんずる」しゃもじ打ち鳴らし街練り歩く
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信州の夏本番を告げる市民祭「長野びんずる」が5日夕、長野市内で行われ、そろいの法被姿などで隊列を組んだ約240の「連」がしゃもじを打ち鳴らしながら「ソーレ」のかけ声で市内を練り歩きました。長野びんずるは、変わりゆく街の姿を映しながら半世紀近く続いています。
この日は午後6時半から9時半まで市内の主要道路を開放し、連が繰り出しました。連は市内の企業、病院、スポーツのチーム、労組などのほか小学校の児童や手話のグループ、飲み仲間たち、プロレスファンクラブの仲間など多彩。何回も集まって練習した成果を競い合いました。 沿道には家族連れやカメラを手にした外国人グループなどが詰めかけ、衣装に工夫を凝らした連や子どもたちの踊りに声援を送っていました。
長野びんずるは1971(昭和46)年に長野青年会議所を中心に企画。長野市、商工会議所も連携して始まり今年は47回目。開始当時、車道を開放するなど画期的な試みが注目され、長野市の加藤久雄市長は今回の実施に向けたあいさつで「全国の市民祭の先駆けになった」としています。 高度経済成長期の終わりを迎えていた初回当時は、経済一辺倒から地域や市民のコミュニケーションをもう一度大切にしようとの機運が各地に広がり始めた時期で、長野びんずるの第1回目のテーマは「市民総和楽」でした。今回は「絆」がテーマです。
実行委員会の資料によると、第1回長野びんずるは推定で10万人が集まり「大成功」とされました。回を重ねるごとに、参加の連も企業中心からサークル、町内会など地域色のあるグループが目立つようになり、市民祭として定着する傾向が出てきました。 第11回の1981年は国際障害者年だったことをきっかけに車いすの人たちも参加。1990(平成2)年の第20回には過去最高の217連、約1万6000人が参加し、盛り上がりました。この間、市内の災害発生で中止になった年もありますが、車道の開放エリアをさらに広げるなど祭りの規模は拡大し、市民が毎年楽しみにする祭りとなっています。 夏の信州はこれから各地の夏祭り、花火大会などのイベントがめじろ押し。国内外から訪れた観光客や帰省の家族連れなどが涼味あふれる夏を楽しみます。
---------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者・編集者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説