「欲望が強く、プライドの高い中年男性を操る」文豪・永井荷風が凄腕パパ活女子の駆け引きを描いた名作(レビュー)
『濹東綺譚』や『ふらんす物語』で知られる永井荷風の埋もれた名作「つゆのあとさき」がついに新潮文庫から刊行されました。銀座のカッフェー「ドンフワン」でトップを張る女給・君江と彼女に執着する男たちの駆け引きを描いた本作の魅力を、ノンフィクション作家の中村淳彦さんが紹介します。 *** 昭和6年に「中央公論」に発表された永井荷風「つゆのあとさき」には、昭和初期の風俗に魅せられる男女の姿が赤裸々に描かれている。昭和6年といえば、満州事変が起こった年だ。軍国化した大日本帝国時代であり、庶民はなんの娯楽もない貧しい生活を強いられていたのだろうと筆者は思い込んでいたが、どうも「つゆのあとさき」を読むと、当時の東京の繁華街では現在と変わらない色恋が乱れ咲いていたようだ。 舞台となるのは銀座のカフェー、神楽坂周辺の待合、市ヶ谷の借間だ。市ヶ谷で暮らしながら、神楽坂で遊び、銀座に出勤とは、いま思うと非常に贅沢な暮らしである。 カフェーとは女給が接客する喫茶店、接客のない純粋に珈琲や紅茶を楽しむ喫茶店は「純喫茶」と呼ばれていた。カフェーは現在でいえば、キャバクラ、クラブ、ラウンジ、ガールズバー、コンカフェ、地方スナックみたいな存在で、淋しさや欲望を抱える男性が女性を目当てにカフェーに通い、事情を抱える女性が女給として接客する。 今も昔も、水商売が「女性に接客されながら、楽しくお酒を飲む」というのは建前で、欲望を抱えた男女が交じり合えば、必然的に恋愛や愛憎が生まれる。さらにカフェーと女給には雇用関係はなく、金銭が介在するかなり自由な男女の出会いの場として機能していたようだ。キャバクラやクラブの女性たちは店に管理されている。男女が疑似恋愛に発展する場所であることは変わりないが、女給に自己裁量があるカフェーは一線を超える関係性になることが、キャバクラよりも緩やかだったと思われる。
主人公の君江はカフェー閉店後、男性客とのアフターデートや疑似恋愛を繰り返す。本命の恋人がいるわけでなく、流行作家の清岡や輸入商の矢田など、上階層の中年男性を次々と無邪気に籠絡していく。 水商売や性風俗の女性はキャリアが活かせる仕事でないので、基本的に短期的なお金のために仕事をする。売春に近い行為にも手を染めているので、大なり小なり邪気をまとっているのが普通である。しかし、君江は無邪気にみえる。常識として色濃く蔓延していただろう男性側の男尊女卑の意識を利用し、欲望が強く、プライドの高い中年男性を操る。逆に男性たちは20歳の君江に操られる。妻を泣かせている女好きで倫理観のない社会的成功者の男性たちを肯定して受け入れながら、自分の都合のいいように彼らを虜にしてしまうからだ。 君江は複数の男性客と営業時間以外にデートを重ねる。 現在のキャバクラやクラブでは君江だけでなく、今のキャバ嬢やホステスも工夫しながら、「アフター」と呼ばれる行為で、男性客により多くお金を落としてもらう関係を築いている。ただ、欲望や邪気が透けるキャバ嬢と比べると、無邪気な君江の男性客との関係性は濃い。待合と呼ばれる今のラブホテルみたいなところに一緒に泊まったり、平然と自宅に招いたりしている。その関係は濃厚な疑似恋愛で、今でいえばパパ活カップルと同じだ。パパ活とは「男性とデートすることで金銭をもらうこと」と定義され、「つゆのあとさき」に露骨な性行為の描写はないが、一晩をともにする待合でのデートはパパ活用語でいえば「大人」という行為であることは間違いない。ちなみに大人とは肉体関係のある関係性である。 君江が魅力的に映るのは、お金という目先の欲望に走ることなく、自分に近づいてくる社会的地位のある男性たちと等身大で向き合い、相手を肯定しながら自分が有利な関係を築き、妻を泣かせてもかまわないという男尊女卑の意識をもつつきながら、男性たちを籠絡していることである。 女給もパパ活女子も、男性A、男性B、男性C、男性Dと、同時進行で疑似恋愛関係を増やせば増やすほど収入は上がる。 相手は本気の恋愛関係だと思っているので、お金のためという態度を見せると相手は醒める。君江は相手を醒めさせる現実は決して見せない。 筆者はパパ活に詳しいが、数人を超える複数の男性と定期関係を同時進行して、全員を本気にさせるような君江のような凄腕のパパ活女子は一部にいる。相手が本気の恋愛関係の同時進行は、そもそも女性が嘘をつかないと成立しない。非常に難しいことだ。 複数の恋愛関係維持は時間配分という物理的な問題だけでなく、相手にお金のためという本心が伝わったり、他の男性の存在がバレてしまうと亀裂が入りがちである。ちゃんと相手と向き合い、会話や関係の辻褄を合わせて、本心を知られることなく、あなただけという素振りや嘘をつき続けなければならない。 どんな男女関係も、愛憎は振り子のように作用する。相手に好かれるほど、亀裂が入ったときの反動は大きく、君江が流行作家の清岡から深刻なストーカー被害に遭うことが物語の軸となっている。 最近はパパ活女子の変形である恋愛詐欺で、社会的弱者の未婚中年男性の財産を奪っていく「いただき女子」が話題だ。現実を知った中年男性が女性を殺してしまう事件も起こっている。とことん相手に執着される愛憎の振り子も、本当に昔も今も変わらない。 100年近く前の軍国日本で、中年男性が潤いを求めて20歳の女性に走って振りまわされる姿があったかと思うと、なんだか微笑ましい。ただ、今の20歳には君江のような男性を軽々と操る凄腕の女性はいないのではないか。 [レビュアー]中村淳彦(ノンフィクション作家) 1972(昭和47)年東京都生まれ。大学卒業後、フリーライターとなる。現在は、ノンフィクション、ルポルタージュを執筆。著書に『名前のない女たち』『職業としてのAV女優』『崩壊する介護現場』など。 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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