販売中止から22年後「いったいどのくらいの台数が残っているだろう」という興味からの呼びかけに応えてくれた、マツダAZ-1のオーナーが集結
バブル景気の中で数々の画期的なクルマを輩出したマツダ。その中にガルイングを備えたスーパー軽自動車があった。熱烈なファンが多く存在したが、わずか数千台で販売終了。それから四半世紀が経過。編集部のかけ声で多くのオーナーが集結した。 【画像27枚】撮影に協力してくれた23台のAZ-1たち 【日本全国660オーナー大集合!集結!AZ-1】 AZ-1の販売中止は3年後の95年12月。そこから22年。いったいどのくらいこのクルマが残っているだろうという興味から撮影イベントというカタチで声をかけたところ、なんと約30台のAZ-1が集結してくれた。 クロノスの悲劇と呼ばれる経営的な失敗をしたマツダ。結果を知っている後世の我々がそれを失敗というのは簡単だ。しかし、当時のマツダはトヨタ、日産という2大企業だけでなく、世界を相手にしたのである。その大戦略を計画し戦い続けたマツダの本当の凄さを分かっているだろうか。 そして、その中で生まれたクロノス6姉妹をはじめ、5つに増えた販売チャネルそれぞれで多くの同型車が作られた。そして計画だけで終わったアマティブランド。多くの魅力あるクルマが登場し、すぐに消えてしまったが、そんな例にもれず軽自動車の規格の中でミッドシップでガルウイングというとんでもないクルマが登場した。AZ-1である。 ビートの成功で市場が形成された軽スポーツジャンル。1991年の11月に発売されたカプチーノに続き92年10月に登場した。 販売開始直後からバブル崩壊による景気後退が色濃くなり、販売的に成功することはなかったが、「軽自動車でここまでやるの!?」という驚きとともに多くの人の記憶に残るクルマとなったのだった。
Nosweb 編集部