女子高生にも人気だった「ポケットベル」~便利な連絡ツール その半世紀の思い出
自らが歩んできた日々をふり返ると「ポケットベル」という存在は、ある時期、自分の人生で大きな位置を占めていた。今や姿を消してしまったが、この"連絡ツール"が初めて世に出てきた時は、実に画期的なサービスだったことを懐かしく思い出す。携帯電話が普及していなかった時代の確かな「記憶遺産」である。
日本でのポケットベル登場
「ポケットベル」の正式名称は「無線呼び出し」。連絡を取りたい相手に、小型受信機を使って電波で"合図を送る"システムである。1958年(昭和33年)に米国で生まれ、英語では「pager(ページャー)」と呼ばれた。日本にはその10年後に登場した。無線機は小さな箱型で、ポケットに入るサイズだったことから、日本では独自に「ポケットベル(ポケベル)」と呼ばれた。それぞれの受信機は決まった電話番号を持っていて、そこにダイヤルすると、ポケットベルから「ピー、ピー、ピー」という通知音が流れる。それを持っている人は、会社か自宅か、あらかじめ決めておいた相手に、公衆電話などから折り返し電話をする。携帯電話のない時代、出先の人間と連絡を取ることができる、便利で画期的なシステムだった。
わが家にポケットベルが来た
私の家は、父親が寝具店を営んでいて、布団の配達などで店から外出することが多かった。そんな時に登場したのがポケットベルだった。父は世間でもずいぶん早い段階で、サービス契約をして、ズボンのベルトにそれを付けていた。いったん外出したら、帰ってくるまで連絡がつかない。そんな日々がなくなり、母親や店の人が鳴らすと、父は配達中の公衆電話などから連絡してくる。仕事上、とても助かった。昭和の時代、随分、わが家には貢献してくれた。
呼び出しの最強ツール
放送局に入社して、ニュース報道のセクションに配属された。当時は全員にポケットベルが行き渡る予算的な余裕はなく、事件や事故など"突発的な"取材にあたる警察担当記者らに優先的に配布された。自分がその担当になって、初めてポケットベルを配布された時は、何やら自分が組織から必要とされているという責任感から、とても嬉しかった。しかし、やがてそれは「24時間365日」何かあったら"呼び出し"があるという、厳しい現実を伴っていることに気づく。休日の観光地、終業後の映画館、友との飲み会などで、自分のポケットベルが鳴った回数は数知れずであった。