女子高生にも人気だった「ポケットベル」~便利な連絡ツール その半世紀の思い出
充実するサービス
ポケットベルのサービスは、どんどん充実していった。電波が届く通信エリアも広がり、最初の頃にはあった「圏外」は少なくなった。通知音以外に、それが鳴らないバイブレーション機能も登場した。1987年(昭和62年)になると、ポケットベルの端末に、電話番号などを表示できるディスプレイがお目見えした。誰からの連絡かが分かるようになって、その便利さは格段に増した。
女子高生のポケットベル人気
数字を表示できるということは、短いメッセージを届けることができる。例えば、「9999」は「至急」、「999」は「ありがとう(サンキュー)」などである。これに注目したのが、当時の女子高生だった。"遊び心"に長けている世代は、「0840」で「おはよう」、「4649」で「よろしく」、「114」は「いいよ」など、次々と符牒(ふちょう)を考え出した。「14106」を「あいしてる(愛してる)」、「106410」で「テルして(TELして)」など、実によく考えたと感心した。そんな世代間の広がりもあって、1996年(平成8年)のポケットベルの契約数は1000万件を超えた。そして、この時がピークとなった。
携帯電話の登場でお別れ
登場した当時は大型で利用料金も高かった携帯電話は、やがて小型化、さらにサービス料金も下がり、一気に広がっていった。ベルで呼んで折り返し電話をもらわなくても、すぐに直接、相手と会話ができるのである。ポケットベルの役割は、携帯電話に取って代わられた。携帯電話の普及と共に、ポケットベルの契約者数は減少した。2007年(平成19年)にはNTTもサービスを終了し、全国で唯一残っていた会社のサービスも、2019年(令和元年)9月で幕を閉じた。終了発表時点での契約者数は、1500件を割っていたそうだ。こうしてポケットベルは、半世紀余りの活躍を終えた。 いつでもどこでも連絡がつくというツールは、携帯電話にバトンタッチされた。それを意識しないほど、今、私たちはその"便利さ"を享受している。でも、そこには同時に、"束縛"という、少し不自由な面も引き継がれたのかもしれない。「糸が切れた凧」は許されない時代なのだろう。ポケットベルを使った世代として、ふとそんなことを思う時もある。 【東西南北論説風(481) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】 ※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』 昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。 CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。
CBCテレビ