『室井慎次 敗れざる者』の“想定外”な達成 黒澤明映画的男性像と共通する室井の老熟
本広克行監督、君塚良一脚本の映画『室井慎次 敗れざる者』が劇場公開された。 本作は、『踊る大捜査線』シリーズのスピンオフ映画。1997年にテレビドラマ化された『踊る大捜査線』(フジテレビ系)は1998年に劇場映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』が大ヒットして以降、続編映画やスピンオフ映画が多数作られる大ヒットプロジェクトとなった。 【写真】若かりし頃の青島(織田裕二)と室井(柳葉敏郎) 今回の劇場映画は2012年の『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』以来12年ぶりの新作となる『踊る』プロジェクトの映画で、室井慎次(柳葉敏郎)を主人公にした2部作の物語となっている。 室井はキャリア官僚で、青島俊作(織田裕二)たち湾岸署の刑事に理不尽な命令を下す警視庁の管理官として当初は描かれていた。その後、青島と関わることで室井の考え方は変化し、本庁と所轄の垣根をとっぱらった理想の捜査ができるように警察組織の改革を目指すようになる。 『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』の結末で室井は組織改革審議委員会の委員長に就任し、組織改革がこれから始まるというところでシリーズは一度幕を閉じた。だが、『室井慎次 敗れざる者』では、改革は失敗に終わり、室井が警察を辞めたことが冒頭で明らかになる。 故郷の秋田に戻った室井は、事件で被害を受けた加害者家族と被害者家族の支援を行っており、犯罪被害者のタカこと森貴仁(齋藤潤)と、リクこと柳町凛久(前山くうが、前山こうが)を里親として引き取り、いっしょに暮らしていた。 ある日、室井の家の前の土地で遺体が発見される。犠牲者は、過去に室井が関わった会社役員殺人事件の犯行グループの一人で、出所した彼らが特殊詐欺グループとして暗躍していることを室井は知る。 同じ頃、室井の前に一人の少女が現れる。彼女の名前は日向杏(福本莉子)、かつて湾岸署を震撼させた猟奇殺人犯・日向真奈美(小泉今日子)が獄中で出産した娘だった。 前編となる本作はタカ、リク、杏の3人の子供たちの抱える悩みと室井が向き合うホームドラマパートと、遺体の第一発見者となった室井が、秋田県警に呼ばれ、捜査に協力することになる経緯が丁寧に描かれる。 犯罪に巻き込まれた被害者家族、被害者遺族の子供たちと向き合う室井の姿は、君塚良一が監督した映画『誰も守ってくれない』を彷彿とさせる。 『踊る大捜査線』でもテレビドラマの時から、事件の被害者と警察がどう向き合い、ケアしていくべきかというテーマが描かれていた。のちに湾岸署の刑事となる柏木雪乃(水野美紀)も、当初は父親を殺された被害者遺族として登場し、青島たちとの出会いによって傷が癒やされていく姿が丁寧に描かれた。その一方で第9話では殺人事件の被疑者の愛人を湾岸署が匿う話も描かれている。被疑者を逮捕して物語を終えるのではなく、事件の被害者や関係者のその後も『踊る』は描いてきた。 後編となる『室井慎次 生き続ける者』では、会社役員殺人事件の犯行グループと日向真奈美という、過去に室井が関わった2組の犯罪者たちのその後も描かれる模様だ。 日向は『踊る大捜査線 THE MOVIE』で初めて登場した猟奇殺人犯で、『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』では、ネット上に無数の狂信的信者がいるカリスマ犯罪者として描かれた。つまり杏は教祖の娘とも言える存在で、彼女の抱える悩みを通して、宗教二世問題を描こうとしているようにも感じた。 最終的に杏を母親のような猟奇犯罪者として描くのか、1人のか弱い子供として描くのかは後編を観ないとわからないが、少なくとも前編で室井は、タカとリクと同じ事件の被害者の子供として杏を受け入れようとしており、そこに好感を持った。 今回の前編では、室井の日常を丁寧に描いていたが、秋田の自然をバックに寡黙に佇む室井の姿は、降旗康夫監督の映画『夜叉』や『鉄道員(ぽっぽや)』の高倉健を彷彿とさせるものがあり、かつて日本映画が魅力的に描いてきた寡黙で不器用だが誠実な男性像を、室井に投影しているように感じた。 元々、『踊る大捜査線』の映画には黒澤明監督の『天国の地獄』や野村芳太郎監督の『砂の器』といった古典的日本映画の引用が物語の中に組み込まれていた。ライトな描き方だったため、当時はわかりにくかったが、作り手は『踊る』なりのやり方で、日本映画の伝統を引き継ごうとしていたのかもしれない。 そんな古き良き日本映画の良さが『室井慎次 敗れざる者』には溢れている。テレビドラマの続編映画を大ヒットさせたことで日本映画の歴史を変えた『踊る』シリーズから『室井慎次 敗れざる者』のような古風な日本映画が生まれたことに驚かされた。 この古さに心地よさを感じた自分は、室井と同じで、もう若くないのだと実感したが、老いた室井が、過去を悔やみながらも、今できることを精一杯やろうとしている姿を観ていると、こういうふうに歳を取っていく人生も悪くないなと感じる。 続編を作り続けてきたからこそ到達した『踊る』プロジェクトの想定外の達成である。
成馬零一