知床沈没事故追悼式 運営会社社長の姿なく
海に手をつけた。まるで氷水のようで、数秒で手が痛んだ。2年前、沈没事故の直後に駆けつけたときと同じだった。 【写真】父親のスマートフォンに残る小柳宝大さんの写真=2024年4月13日、福岡県久留米市、新谷千布美撮影 「沈むゆく船にはみんな残らんからですね。飛び込むからですね。冷たくても離れたでしょう」 福岡県久留米市出身の小柳宝大さん(当時34)は2022年4月23日、北海道・知床半島沖で消息をたった観光船「KAZUI(カズワン)」に乗っていた。当時の息子の姿を、父親(65)はそう想像する。 実家のある久留米市は、4月には20度を超える。一方、事故があった北海道斜里町は、零下まで冷え込む日もある。 故郷とあまりにも違う海。事故後の海上保安庁の捜索で、リュックやカメラは海中から見つかった。だが、宝大さんは行方不明のままだ。 少しでも息子の近くに行きたい。父親は23日、斜里町で開かれた追悼式に、九州から足を運んだ。 カズワンを運航していた「知床遊覧船」の桂田精一社長は斜里町内に暮らすが、会場に花輪を送っただけで、姿を見せなかった。
朝日新聞社