Elephant Gymが語るtoeからの影響、世界への眼差し、アジア・台湾・日本のつながり
Elephant Gymは台湾の3人組インディーバンドだ。KTのエネルギッシュで緻密なベースプレイをはじめとして演奏力に定評がある実力派である。日本でも根強い人気を誇り、2022年にはフジロックにも出演。これまで数多くの日本のミュージシャンと共演し、来日公演を重ねてきた彼らは、10月13日に朝霧JAM、10月14日にビルボードライブ横浜への出演が決定している。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 アジアのみならず欧米でも着実にファンベースを築き上げてきた彼らは、自身初となる南米公演も完売させるなど、さらなる成果を上げつつ前進を続けてきた。それでもなお制作からマネジメントまで自らの手で行なうエレファントジムは、アジアのインディーバンドの模範のような存在だ。4thアルバム『WORLD』を携えた計60公演にも及ぶ世界ツアー真っ最中の3人に、この10年の話を訊いた。
toeからの影響、キャリアのハイライト
―改めて皆さんを紹介したいので、結成当初の話から聞かせてください。2012年にバンドを始めるにあたって、ポストロックやマスロックをやろうと思ったのはなぜでしょう? Tu:ドラムの僕とギターのTellは高校の軽音楽部で出会いました。Tellは僕の1つ上の先輩で、ベースのKTとTellは兄妹です。当時はそれぞれ別の友達とバンドを組んでいたのですが、高校時代にマスロックというジャンルに夢中になった私たちは意気投合し、後に台北の大学で日本のtoeをロールモデルとしたバンドをやることにしました。 ―具体的にtoeのどんなところから影響を受けたのでしょうか? Tu:toeの影響は大きいです。実は私たちは小さい頃からクラシック音楽を習ってきたという共通点がありますが、初めて聴いたtoeの音楽はそれまで接してきたどんなクラシックやポップミュージックとも違うリズムで驚きました。数えてみると5拍子だったんです。音楽の創造性にはまだまだ多くの側面があると学びました。そこからさらに日本の色々な音楽を知ることができた。toeは私たちにとって新しい世界への入り口だったんです。 KT:Spotifyがなかった当時の私たちがtoeに触れたきっかけは、Tellが持っていたtoeの曲「I Dance Alone」の音楽ファイルでした。音楽にはこんな遊び方があるんだ!と感動しました。そこからハマってYouTubeでライブ動画を観てみると、Tシャツにジーパンというカジュアルな格好に驚きました。ステージ上で着飾らずにありのままの自分を表現する姿勢がカッコよくて感銘を受けました。 ―1stアルバム『角度 -Angle-』(2015年)は、toeの美濃隆章さんに直接連絡してミックスを依頼したそうですね。発表から9年が経ちますが、このアルバムについて今振り返ってみたとき、どんなことを思いますか? Tell:改めて聴くと録音や自分のギターのチョーキングなどに粗さを感じる部分が多く、今の自分ならこうしないだろうと思う箇所もあります。ただ、この作品は勇敢だったと思う。何も分からないのに思い切って憧れの美濃さんにミックスを頼んだ勇気も誇りに思います。toeのDIY精神は今でも僕たちの活動に影響を与えているし、今でも共演するたびに色んな学びがあります。 ―Elephant Gymはスリーピースのインストバンドとして結成され、2ndアルバム『Underwater』(2018年)からは日本と台湾のシンガー/ラッパーとのコラボが始まり、より複雑なプロダクションになっていきますね。 Tu:この10年で音楽ソフトを駆使するようになったり、演奏スキルも上がったり、楽曲の起承転結を心得たりと、色々な進歩があります。専門的な知識によってより複雑な音楽制作ができるようになりました。 ―確かに、最新アルバム『WORLD』(2023年)ではオーケストラやホーンセクションを導入しているように、作品を追うごとに音楽性の幅も広がったように思います。 Tu:はい。複雑になった分、丁寧にアレンジしているので、近年の作品はより面白いと思います。知識を増やしたあとに、何をすべきかが分かるんです。ただ、例えばライブで「Finger」や「Galaxy」といった初期の曲を演奏すると、この時期の直感的でエモーショナルな良さも実感します。技術の向上とともに、そういった要素を失っていないかは常に気にかけています。 ―10年間のターニングポイントはいつでしょう? Tell:音楽で食べていくと決心した2016年ですね。その年のEP『工作 WORK』は、音楽が私たちの仕事であるという意味なんです。台湾では台北が音楽シーンの中心ですが、僕たちは大学卒業後に故郷の高雄に戻り、学生時代にライブで稼いだお金で自分たちのスタジオを建てるという夢を叶えました。そして、働きながらだとバンドが疎かになるだろうと考え、音楽に人生をかけてみようと話し合ってフルタイムで活動することに決めました。薄給な時期もありましたが、幸いにもバンドが軌道に乗り、小さな成功体験を重ねて今に至ります。