本郷和人『光る君へ』「和歌」による求愛を「和歌」で拒絶!絶世の美男美女・在原業平と小野小町のやりとりから見る<平安時代の恋愛ルール>
◆絶世の美男・在原業平と美女・小野小町のやりとり 一方、平安時代を代表する絶世の美男と美女と言えば、在原業平と小野小町。 ふたりの間に恋の花が咲かぬはずがなく、業平は「秋の野に笹分けし朝の袖よりもあはでこし夜ぞひちまさりける」(あなたに逢わずに帰って来た夜の方が、いっそう涙で濡れたのでしたよ)との歌を贈った。 すると小町は「みるめなきわが身を浦と知らねばやかれなで海士の足たゆく来る」(いくら言い寄られても、逢うつもりのない私だと知らないで、あの人は足がだるくなるまで通って来るのか)と返した。 つまり業平の求愛を,小町はあっさりと拒絶したんですね。
◆ステキな大人の恋 とまあ、これは『伊勢物語』25段に見える、有名な逸話です。 ただ、史実かというと、そうではないらしい。 わが国で最も古い勅撰和歌集(天皇の命で作られた和歌集)である『古今和歌集』に、この二つの歌は隣同士に配置されているんです(「巻第13・恋歌三」)。 そこに着想を得た『伊勢物語』の作者(具体的に誰であるか、いまだ定説はない)が恋の駆け引きの話に仕立てたといわれています。 でも、こんな風に断固として、かつ優雅にふられるなら、男冥利に尽きるというもの。とてもステキな大人の恋ではありませんか。 ※本稿は、『応天の門』(新潮社)に掲載されたコラムの一部を再編集したものです。
本郷和人
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