京大名物「タテカン」を撤去したゴリラの専門家に会ってみたら…「あまりに京大生」な強烈な振る舞い
京大出身者の実態とはどのようなものか。京大OBで神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「世間からは、東大=権力、京大=反権力といった、ステレオタイプな二項対立で語られることが多い。しかし、実態は時と場合に応じて変わりうるのではないか」という――。 【写真】京大名物「タテカン」を撤去したゴリラの専門家 ※本稿は、鈴木洋仁『京大思考 石丸伸二はなぜ嫌われてしまうのか』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。 ■「変人」と言われると嬉しい 2019年に、酒井敏(1957年~)など数人の著者による執筆のほか、当時の京大総長だった山極壽一の対談を収録した『京大変人講座 常識を飛び越えると、何かが見えてくる』(三笠書房)が出版された。 京大の「『自由の学風』や『変人のDNA』を世に広く知ってもらうために発足した公開講座」を書籍化したものだというが、京大=変人であって、わざわざ「変人」を自称するのは「らしくない」。 率直に言って、「変人」は、自分を「変人」とは言わないのではないか。「変人」とは、周りから浮いていたり、馴染めなかったりするために、否応なくそう呼ばれる。わざわざ自分から周りに誇らない。誇れないし、誇るべきではないし、そもそも「変人」とは、ほとんど思っていない。 ただ、「変人」と言われると嬉しいのかもしれない。ただ、「凡人」と呼ばれたいか、「変人」と言われたいかと問われたときに、あえて選ぶとすればぐらいのレベルではないだろうか。 ■「変わっている/変わっていない」に興味がない 先に挙げた間宮先生もまた、それなりの「変人」に入っただろう。関東にもお住まいだったので、毎週、新幹線で京都と行き来をされていたのだが、ほぼデッキに立ったままだと伺った記憶がある。当時は、今よりチケット入手がはるかに不便だったとはいえ、それでも、間宮先生は、時間に間に合わないのがデフォルトだった(とおっしゃっていた記憶がある)。 また、部屋は「汚部屋」というか、なんというか……。汚いわけではないのだが、ともかく書類で足の踏み場がなかった。研究室のドアを開けると、書類が散乱していて、ソファは座る余地がない。 一度、「掃除を手伝いましょうか?」と聞いたときに、「どこに何があるかは全部、頭に入れてあるから触らないで」と言われたことがあり、こういう人を「変人」と呼ぶのだろう、と思ったものだった。 「自分(たち)は、あまり変わっているつもりがないし、そもそも変わっている/変わっていないに興味がない」。そんなところなのではないか。 間宮先生もまた、京大で教えておられた、東大出身者だった。