戦前の県出身レスラー(6月3日)
日本で本格的なプロレス興行が始まり、今年で70年という。同時期にスタートしたテレビ放送の電波に乗り、お茶の間に熱闘が届けられた。家族そろって観戦した昭和世代も多いに違いない▼草創期の大スターとして、大相撲から転身した力道山が有名だが、戦前の米国では既に、日本人のレスラーが柔道や相撲の心得を生かして活躍していた。その一人が手代木[てしろぎ]禎二。「牧童」とも名乗った。経歴に不明な点もあるが、明治半ばに、今の喜多方市で生まれたとも伝わる▼若くして渡米し、農科大学で学んだ。農園経営などを経て保険代理店を営み、成功を収める一方、度々リングに上がった。1929(昭和4)年1月25日付の邦字新聞「ユタ日報」は、シャーマンという選手との一戦について、1勝1敗の引き分けだったと報じている▼現地の警察で柔道の教官も務めた。日米関係が危機を迎えると、米国民に日本の立場を伝える講演活動もしたそうだ。精力的な性格がうかがえる。昨今のプロレス界は、ボクシングや総合格闘技などに押され気味の印象がある。彼の元気を見習い、隆盛期の闘魂の人もしのび、現役諸氏は人気回復の逆転技を繰り出してはくれないか。<2024・6・3>