81歳、家族の病気や死を経験した波乱万丈人生。乗り越えた今は「やりたいことをやる」
娘が46歳でがんで早逝。息子のおかげで、悲しみから立ち直る
多良さんには、もう一人、娘がいました。小さい頃から、障がいがある兄を理解し、「仕事をリタイアしたらここに戻ってきて、お兄ちゃんの面倒は私が看るね」と言ってくれていていたのです。でも、43歳のときに子宮がんを発症し、3年闘病の末、亡くなりました。 「最期は辛くて、涙が出ました。でも、そのあとは泣きませんでした。息子のときと同じで、闘病中に病気を受け入れて覚悟をしたら、元気が湧いてきました。これ以上はできないというくらい、娘と一緒にがんばりました。だから、後悔はありません」 今でもそばに、亡くなった娘がいるように感じています。「料理をしているとき、『味はどう?』と無言で問うと、「ちょっと辛いね」とか「おいしいよ」などと私の心へ答えてくれるような気がしています」 大変なことを受け入れて覚悟を決め、その後は自分にとって最大限にできることをする。そんなふうに、乗り越えてきた多良さんは、81歳の今でも若々しく元気です。そんな多良さんを見て、周囲の同年代の友達から「どうしてそんなに元気なの?」と聞かれることがあるそうです。 「そんなときは、『息子がいるからじゃない? 貸しましょうか?』と答えるんです」と、多良さんは笑います。娘が亡くなったとき、こんなことがありました。息子は、状況が理解できないからいつも通りです。その姿を見て、「私がいないとこの子は生きていけない。元気を出さないと」ときり替えることができたのです。息子がいなかったら、きっと娘の死の悲しみに暮れていたはずです。 「息子を支えていると思っていたけど、逆に支えられています。『しっかりしないと!』と思う気持ちが、元気にしてくれます。私の元気は、気持ちが先で、体は後からついてくるのでしょう」
80歳からの新しい選択。自分のやりたいことをマイペースに
80歳を前にして、多良さんは新しい選択をします。地元の社協(社会福祉協議会)から受けていた仕事を引退し、「障がい児・者の親の会」も若い人にゆだね、相談役のような立場になりました。 まだ体は動きますが、余力をもって次に行こうと思ったのです。これからは、マイペースにピアノ、織物、お菓子づくりなど好きなことをしたい。以前からやっていた趣味ですが、仕事や息子の世話、義両親の介護などがあってお休みすることも多かったので、これからはそちらに時間を使いたいと考えました。 家で好きなことをするだけでなく、自分にできる、周りの人たちへのサポートはしていこうと思っています。近くに住む、ひとり暮らしの高齢の女友達が数人いますが、病院や買い物につき添ったり、マイナンバーカードの申請を一緒にするなど、本人が一人では不安だと思っていることをフォローしています。友達なので、あくまでもボランティアです。 「私自身の勉強にもなるし、友達から逆に知恵をもらうこともあります。だから、お互い様ですね。今後、自分が助けてもらう側になるかもしれません。今は、できる範囲で続けていきたいです」 趣味に、ボランティアに、80代からはマイペースに自分のやりたいことをやる。いろいろな経験をしたからこそ、本当にやりたいことが見えてきたのでしょう。 多良久美子さんの著書『80歳。いよいよこれから私の人生』(すばる舎刊)には、「もうこの年だから」ではなく、「この年だからこそ」に変えるためのヒントが詰まっています。
ESSEonline編集部