走り幅跳びとボブスレーの「二刀流」で奮闘中 北野建設・松岡晃輝が「最高に苦しくて、最高に楽しかった」と振り返る大学時代
腹筋・背筋・腕立て伏せを1日1000回に増やした高校時代
高校は日本工業大学駒場高校へ。「7m超え」を目標に掲げた。松岡以外はほぼ推薦で入学しており、競技力や人間力が非常に高かったと言う。「負けず嫌いがいっぱい集まった高校だと思った」 松岡は中学時代に1日500回ずつこなしていた腹筋や背筋、腕立て伏せを高校で1000回に倍増。また他の選手の動きも勉強して、自分のものにしていた。すると高校2年の4月に7m08(追い風0.7m)を記録し、U18日本陸上競技選手権への出場権を手にした。1年後には7m20(追い風0.9m)まで記録を伸ばし、着実に成長を遂げた。 ただ、活躍の裏でけがに苦しむことも多く、試合中に腰やひざなどに痛みが出ることもあった。そのたびに「絶対に見返してやる」という強い意志で自らを奮い立たせ、無心で挑み続けた。中学、高校ともにキャプテンを務め、練習からリーダーシップを発揮した。後輩には自身のけがの経験を伝え、治療やケアについてのアドバイスを送った。 大東文化大を選んだのは、高校の先輩にあたる安田圭吾(住友電工)に憧れたからだ。安田は短距離専門だったが、「弟子のような存在としてかわいがってもらい、けがで落ち込んでいたときも慰めてくれた」と松岡は言う。大学では走力を強化したいとも思っていた。入学が決まると、練習会や合宿に参加。大東文化大は「とても活気があり、中高よりもさらにワイワイしていたし、この環境で練習してお互いを高め合うのはいいなと思いました」と話す。 大学4年間での目標は「自己ベスト更新」。しかし、大学1、2年のときはけがが続いて、記録が振るわず。その中でも佐藤真太郎監督のもとで自重トレーニングやウェートトレーニングに励み、監督から出される補強メニューにも「追い込むことが好き」と楽しんでいた。
大学ラストイヤーは副主将と跳躍ブロック長
大学2年、3年と関東インカレ2部走り幅跳びに出場し、大学2年は7m26(追い風3.5m)で4位入賞、大学3年では7m17(追い風0.4m)で2位に入った。活躍の一方で、けがの影響もあって思うような結果ではなかったと話す。「自己ベストより下回る記録だったので、納得はいっていない。チームに点数を持っていきたいという思いで跳んでいた」と振り返る。 ラストイヤーでは陸上競技部の副主将と跳躍ブロックのブロック長を務めた。主将は假屋直幹(かりや・なおき、現・北野建設)で「假屋選手は僕よりしっかり者で、言う時は言う」と松岡。そのリーダーシップを尊敬するとともに、一緒にチームを引っ張った。最後の関東インカレでは、7m62(風0m)の自己ベストをマークし、準優勝に輝いた。「正直ほっとしました。全日本インカレの標準記録を切れたことで肩の荷が下りました」と振り返る。その年9月の日体大記録会では7m82(追い風1.8m)とさらに自己ベストを更新し「まさか日本選手権の標準記録を切れるとは思っていなかった」と驚きを語った。