為替市場関係は全仕事量の5%以下…歴史的円安と戦った元財務官・神田眞人の「金融マフィアの仕事術」
■就寝は午前2時か3時 起床は午前5時か6時 財務官として、3年間の任期を終えたいま、こう実感しています。人類は歴史的な岐路に立たされている、と。 【図表】1991年以降の財務官で円買い介入したのは4人だけ 各国の政策責任者との世界経済や国際金融の協議、あるいは様々な国際会議の調整などを行う財務官の仕事は、国際情勢と密接に繋がっています。 私が財務官に任命された2021年7月は、まさに世界が揺らぐさなかにあり、世界の秩序とともに、国際金融の情勢も大きく変容していたのです。 以前から、デジタル化などで、主要産業のシフト、貧富の格差の拡大、ポピュリズムの伸長といった大変容が進み、加えて100年前のスペイン風邪以来のパンデミックが大きな苦難を引き起こしました。そして、新型コロナとその政策対応の副作用として、ペントアップデマンド(抑えられていた需要)やサプライチェーンの混乱で世界的にインフレが生じることが危惧されていました。これに対応するための急な金利引き上げが、資金流出の国際金融危機や為替市場の混乱を惹起するリスクがないか不安で、その年の晩夏から私は対応を考え始めたのです。 このインフレを加速させたのが、翌22年のロシアによるウクライナ侵攻。その頃から、ロシア制裁とウクライナ支援に忙殺されました。ロシアの侵略がもたらした食料や原材料価格の高騰は全世界を苦境に立たせ、インフレ制止のための主要国中央銀行による急激な金利引き上げは、急速な円安の契機に。その間も、いくつもの銀行が破綻。さらには、23年秋のハマスによるイスラエル攻撃。いつ第3次世界大戦が勃発してもおかしくないような状況であり、歴史的ともいえる特殊な国際情勢への対応策で頭がいっぱいでした。 財務官時代の仕事として、円安に歯止めをかけた為替介入が注目を集めましたが、財務官の仕事のなかで、為替市場関係自体は大きなウエートを占めず、実感でいえば5%以下です。 為替相場はファンダメンタリズム(経済の原理)を反映して安定的に推移することが望ましく、長期的には国力を反映するともいわれます。問題なのは、投機などによって過度な変動が起きること。今年の為替変動は、ファンダメンタリズムとは乖離した、明らかな投機による過度な動きでした。変化が急すぎると、国民の暮らしに多大な影響が及びます。そこで今年4月から7月の間に合計15兆3233億円の為替介入を行いました。 いわば常在戦場、為替市場の動きは絶えず注視し、いつでも為替介入に踏み切れるよう、常に準備しています。むしろ、最も苦労したのは、国際会議の運営です。23年は7年に一度のG7の議長と3年に一度のASEAN+3の共同議長が重なるという21年に一度の重責でした。それも戦時下であり、コロナ禍後の混乱期でもありました。 振り返ると忙しい毎日でした。海外出張は、月に3、4度。平日は朝7時台に登庁、事務処理や国内外の経済イベントやマーケットの動きを確認し、永田町に足を運び政財界との調整。夜は主催する勉強会。その後、毎晩21時か22時から欧米当局の要人とのオンライン会議が始まります。財務官としてではないものの、8年間続けたOECD(経済協力開発機構)のコーポレートガバナンス委員会議長としての会議も無数にありました。そうして眠るのが2時か3時で、起床時間は5時か6時。マーケットの急変、戦況変化、政変、金融破綻、天災など、様々なことでたたき起こされることもありました。ロシアのウクライナ侵攻、アメリカのシリコンバレーバンクやスイスのクレディ・スイスが破綻、スリランカがデフォルト(債務不履行)……。毎晩のようにイベントが舞い込んできます。 そうした日々で試されたのが、調整能力。たとえば、ある国に配慮した提案をすると、別の国が納得しない。あちら立てればこちらが立たぬで、議長として何十回も妥協案を提示し、皆に譲歩を求める必要がありました。オンラインで話が収まらないと、航空機で飛んでいって直接説得することも……。 こうした一つ一つの問題が悪化し、ひとたび国際的な危機に発展すれば、世界中の人々、特に最も脆弱な人たちの暮らしが破壊されます。特に、海外に依存している日本には、平和で安定した国際秩序が死活的に重要です。従って、世界経済を守る仕事は日本の公僕にとって非常に重要な責務なのです。