為替市場関係は全仕事量の5%以下…歴史的円安と戦った元財務官・神田眞人の「金融マフィアの仕事術」
■「霞が関の劣化」は政治主導のせいではない といっても、私はもともと公務員志望ではありませんでした。黒澤明の映画『生きる』に影響を受けたことも確かですが、大学時代のゼミやクラブの先輩に公務員試験、大蔵省も受けてみたら、と言われて受けたのが、入省のきっかけです。そのまま37年務めることになるとは驚くべき展開です。 公務の特権は、社会のため、国民のため、人類のため、という一般的にはきれい事に聞こえる仕事を、地で行えること、そして、普通なら所与の前提となるような土俵というか環境自体を変えることができることだと思います。きれい事で世界の制度まで変えることに堂々と人生をかけられることは特権であるとともに、我々公務員が国民から負託された義務でもあります。ただ、どんなに立派なきれい事でも、言いっ放しでは意味がない。徹底的に古今東西から謙虚に学び、考え抜いて、議論も尽くし、最善の施策を企画立案する。しかし、それだけではだめです。皆を説得し、しっかりと実現する必要がある。難易度が高く、重要な政策ほど時間を要します。1年や2年では足りないのが普通で、10年以上かけてようやく形にできる政策も少なくありません。 私の非力でいまだ実現に至っていない施策もたくさんあり、優秀な後輩たちに託しています。 元世界銀行の総裁で、私の親友であるロバート・ゼーリックもよくこう口にします。“accomplish”――つまり成し遂げなければならない、と。 そのためにも勉強して理論武装し、政財界、学会、言論界を問わず、あらゆるステークホルダーの理解をえる努力をする。とくに反対する人たちには粘り強く説得を続ける。 しばしば既得権益を持つ抵抗勢力が改革を阻もうと立ちはだかります。そのときも、相手にも生活がかかった事情があると理解し、対立するのではなく、合意に向けた調整をしながら妥協点を見いだし、最後の最後まで一番大切な正論だけは死守する。政策実現への交渉には、強い意志と柔軟な思考が大切なのです。 公務員は基本的に、国民や市民が選んだ代表が決めた物事に従う必要があります。やはり満州事変のような規律違反は許されません。決定には従うか、嫌なら辞職する。しかし、決定が下されるまでは限界まで正論が実現されるようあらゆる努力を尽くす必要があります。権力者に忖度するイエスマンや、指示待ちの怠惰な保身者ばかりなら、その組織はもちろん社会や国も破壊されます。イエスマンや指示待ちに成り下がれば、正論を貫くための努力が不要となり、次第に、本当に企画立案も議論もできない無能な存在に堕落します。正論を目指すことは、自らの知的能力を鍛えることにもなるのです。 もう一つ大事なことは国民にも自分にも嘘をついたり隠蔽したりしないことです。大本営発表は必ず失敗を招きます。ミッドウェーの敗北を隠蔽した結果、全く間違った認識にたって愚かな作戦を進め、地獄へと向かっていきました。いまのロシアも、プーチン大統領は「キーウは3日で落とせますよ」と忖度側近に吹き込まれたとの説がありますし、戦況は国民に正しく伝わっていないと言われています。 この十数年、日本では政治主導になって官僚は指示待ちになり、イエスマンばかりが増えて政治家に忖度するようになった……。そんな批判をよく耳にします。 霞が関がひどく劣化しているのは事実ですが、私自身は必ずしも政治主導のせいだとも感じていません。先ほど話したように、正しい政策を遂行するうえで、既得権益などとぶつかるケースが多々あります。政治家は、うまくいっていない企業などから助けてくれと陳情を受けることもあるからです。 しかし、それに対し、しっかり公益のために正論を説得力をもって主張する限り、理不尽に怒鳴られたり、冷や飯を食わされたりした、という経験は一度もありませんでした。私の提案に対し、政策として正反対であったり、憤りを覚えていたとしても、エビデンスを示し、論理的に言葉を尽くして説明すれば、納得してもらえなくても、怒られたり、飛ばされたりすることはありませんでした。何万人の支持を集める政治家に敬意をもって接してきたこともあるかもしれませんし、正論を譲らずに、きれい事を訴え続けたからこそ、私を守ってくれた先輩や政治家の方々も大勢いたからかもしれません。 だから私も正しい行動をした部下を守ることも、管理職の責任だと受け止めていました。それが、若かった私を守ってくれた先輩への恩返しになると考えていました。 改めて振り返ると、大きなことは成し遂げられなかったけれど、少しは世の中の役に立てたかなと感じます。ただ、何一つ一人ではできなかった。指導してくださった方々や一緒に頑張ってくれた仲間に感謝しかありません。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年11月1日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 神田 眞人(かんだ・まさと) 内閣官房参与・財務省顧問 1965年、兵庫県西宮市生まれ。1987年に旧大蔵省に入省、主計局を中心に各役職を歴任し、2021年から24年まで財務官を務めた。現在、内閣官房参与、財務省顧問。 ----------
内閣官房参与・財務省顧問 神田 眞人 構成=山川 徹