フリーダ・トランゾ・イエーガーが描く資本主義世界とニヒリズム
国際的な美術展やアートフェアにも取り上げられ、近年、世界的に注目を集めているフリーダ・トランゾ・イエーガー。群馬県前橋にあるタカ・イシイギャラリー 前橋で始まった個展の見どころを、本人へのインタビューを交えて紹介する。 【写真を見る】フリーダ展の様子
現代アートシーンにおいて語るべきこと
会場に足を踏み入れると、宙に浮かんだ巨大なハート型の立体作品が目に入る。立体作品といったものの、これは絵画作品である。というのもベースになっているのは、実は油絵の具で着彩された変形キャンバス。それを蝶番でつなぎ、また刺繍など手工芸的な装飾を加えて、オブジェのように仕立てているのだ。 現代美術家フリーダ・トランゾ・イエーガーの作品の魅力のひとつは、そうした従来の西洋絵画のかたちを拡張した独自の表現スタイルにある。1988年、メキシコ生まれ。ドイツのハンブルク美術大学でアートを学んだ。「西洋美術を本格的に学んだのはそのとき。その中で、私は、(周りのすでに絵が上手な人たちと同じことをするのではなく)自分自身の表現を見つける必要がありました」とトランゾ・イエーガーは話す。具体的には、そこでメキシコの女性たちが継承してきた刺繍を絵画に加えることを思いついた。また、立体的な表現は、かつてキリスト教の宣教師たちがメキシコにもたらした扉付きの祭壇、あるいはヨーロッパの祭壇画がヒントになったものだ。「ただ、私自身、刺繍があまり得意ではないので、作品制作にあたっては、おばや従姉妹などに手伝ってもらったりしていますが」とも明かす。 主題もトランゾ・イエーガー作品の魅力だろう。彼女が描く作品には、植民地主義や加速する資本主義に対する批判、またはアウトサイダーやクィアの自由な生に対するメッセージが込められている。なお、彼女は今年、2年に1度開かれる現代アートの祭典ベネチア・ビエンナーレのメイン展示「Foreigners Everywhere(どこにでもいる外国人)」にも参加。ベネチアビエンナーレは、各国のパビリオンでの展示に加え、特定のキュレーターが企画したエキシビションが開かれる。トランゾ・イエーガーが参加した本展は後者のもので、ヨーロッパのモダニズム、あるいはグローバリズムの中で負の影響が残る国々の作家に光をあてるもの。それは、今、現代アートシーンにおいて、語るべき主題であり、同時に、彼女の作品は今、語られるべきものでもあるだろう。 ■巨大なハートが映し出す資本主義の欲望 現在、タカ・イシイギャラリー 前橋で開かれているトランゾ・イエーガーの個展「Against Meaninglessness」は、そうした彼女の独自の表現とその背後にある思想が存分に感じられるエキシビションになっている。ただ、この展覧会が特別なのは、その作品の多くが、京都学派の哲学者である故・西谷啓治の「ニヒリズム(虚無主義)」についての著作を起点に生まれていることだ。 先述のハート型の作品もそのひとつ。表面は鮮やかでジューシーな赤やピンクで彩られているが、その内側はキャンバスの木枠と裏地が丸出し。ハリボテのように中は空っぽだ。「私はハートというものを現代の資本主義のシンボルだと捉えています。この記号は、欲望と欲求を思い起こさせ、なによりSNSの“いいね”のボタンにもなっていますから。ただ、そこで重要なのは、資本主義の世界においてそうした欲望や欲求は次から次へと生まれていくものだということ。私たちの心は満たされることはありません」。 そうした虚しさや空虚さ、つまりニヒリズムについて考えていたときに、西谷の著書がヒントになったのだという。「西洋的な考えでは、そうした空虚さをネガティブに捉えますが、(禅をはじめ東洋的な思想を手がかりに“ニヒリズムの克服”を考えた)西谷は、その無というものを、何かの可能性に根拠を与えるものだと示していたのです」。つまり本作は、無の状況に陥ったとき、我々は脱力し諦めるのではなく、そこから新しいビジョンを生み出していけるのではないかという彼女のメッセージでもある。 ■「車」が表す男性性と脆さ こうした “シンボル”や“記号”は、ずっと彼女の重要な関心ごとになってきたという。展覧会タイトルにもなっているペインティング作品《Against Meaninglessness》は、「車」という記号についての彼女の考えがベースにある。 「車は、私にとって資本主義の象徴であり、また男性的な存在。長年、描いてきたモチーフでもあります。ただ、今回考えたのは、そうした男性らしさのコアにあるものは、実は、とても脆いものなのではないかということ。とても脆くて壊れやすい、だから、車のように周囲にたくさんの大きく堅牢なパーツで囲っていないと生きていけないのではないか、と。絵の中で、車の中心に小さなウサギを描いたのは、そうしたイメージから。小さく縮こまったウサギは、壊れやすく、そして、その脆さが露わになることを怖がっているのです」 ■女性たちのいる風景画が示すもの 蝶番を使い、扉のように開閉できる絵画作品も彼女の真骨頂だ。本展ではその新作も数シリーズ並ぶ。そのひとつでは、扉の表と裏にそれぞれパノラマティックな風景が描かれており、その開閉によってさまざまな見方ができる。そして何より、描かれている風景が興味深い。 例えば《The Observing Self and The Self That Is Observed》。片方の面は、小さな湖で髪や肌の色が異なる複数の女性が水遊びを楽しんでいる風景。もう一方の面には、女性たちが銭湯にいる様子が浮世絵のようなタッチで描かれている。実はこの風景画にはそれぞれ参照元があり、ともに16世紀ごろ、ヨーロッパと日本で同時代に描かれたものだという。 「この2つを参照したのは、それぞれ“民主的な絵”だから。どちらも女性たちが裸で自由に過ごしている。特定の主人公や重要人物がフィーチャーされたものではなく、みな平等でそこに力関係が存在していないと思ったのです」 ■未来の可能性の象徴としての宇宙 また、本展には、同じように観音開き状になった別のシリーズも見せている。片面は、全面にキラキラと輝くビジューが覆われ、彼女の印象深い言葉が浮かび上がる。そして、開くと宇宙空間が広がり、神話に登場するヴィーナスとそのパートナーであるマーズが姿を表す。 彼女の中で、宇宙は未来的なスペースだという。そして何より、多くの哲学者は、宇宙を無と捉え、すべての始まりをイメージしてきた。 「私は、この宇宙を未来の可能性の象徴として描いています。ただ、現代において宇宙は、もはや新しい領土であり、無蔵の資源が眠っている場所と見られています。そういった、資本主義的で植民地主義的な眼差しは、想像力を抑圧するものだと私は思うのです。そこで、私が行いたかったのは、神話的なモチーフを用いながら、それとは違う、美しく創造的な未来の見方を作品を通して提示することでした」 そうやって常に彼女の作品は、現代社会に疑問を投げかけ、思考を刺激し、変化を促す。そして、彼女が導くのは、いつだって古めかしいイデオロギーの欲望を超克したオルタナティブな未来だ。さて、われわれは会場で何を思うだろうか。 ■フリーダ・トランゾ・イエーガー 「Against Meaninglessness」 会期:~11月10日(日) 会場:タカ・イシイギャラリー 前橋 住:群馬県前橋市千代田町5-9-1 まえばしガレリア 1F 開廊時間:11:00~19:00 休廊日:月・火・祝祭日 TEL:027-289-3521 URL:www.takaishiigallery.com
文・松本雅延 編集・石田潤(GQ)