大阪・ミナミ唯一のお茶屋 ── 花街文化を発信
ミナミに大阪唯一のお茶屋がある。その名も、お茶屋「島之内たに川」(大阪市中央区島之内)で、いろんな情報を発信しながら、花街文化の認知度アップや普及に努めている。
芸妓を呼ばずに、飲むだけでも構いません
「生活の変化でお茶屋が減り、芸妓(げいこ)さんも減少しました。今、世の中も不景気で、ご接待に使う方も少なくなりました。お茶屋は敷居が高いと思われがちですが、当店では個人で寄り集まってお茶屋を純粋に楽しめます。芸妓さんを呼んで遊ばれる宴会はもちろんですが、芸妓を呼ばずに、飲むだけでも構いませんよ」(二代目の若主人、谷川恵さん) 紹介がないと入店できないとかでもなく、サラリーマンでも、個人事業主でも、予約をすればお座敷遊びを体験できるという。 ここで少しばかりお茶屋の歴史を紹介しておこう。 大阪にはかつて「花街」と呼ばれる歓楽街があり、代表的なものは北新地、新町、堀江、南地(なんち=現在のミナミ)の4つだった。昭和10年頃、芸妓の数は北新地で500人、新町900人、堀江500人、南地は約2000人を抱え、日本最大の花街としてにぎわっていたという。 とくに、ミナミは「南地五花街」(宗右衛門町、櫓町、坂町、難波新地、九郎右衛門町)としてエリアも広く、お茶屋や高級料亭、料理店、旅館など格子づくりの建物が軒を連ね、日本で最も活気があったそうだ。 道頓堀川から北の島之内側は高級な街、その対岸の南岸は庶民的な社交の街と位置づけられ、中でも「宗右衛門町」は最も格式が高く、「大和屋」「富田屋」といった豪華なお茶屋が繁盛していたと言われている。だが戦後、大阪万博の頃をピークに減少し、今では芸妓はミナミに1名、北新地に7名のみ。お茶屋の存在を知らない人も多いのではないか。
利用に決まりはなく、食事会や稽古場など要望アレンジ
「島之内たに川」は昭和44年に開業。もともと芸妓だった谷川恵美子さんが料亭を買い取り創業したもので、「昭和63年に、黒塀の木造二階建てを四階建てのビルに建て替えました。その中に数寄屋造りのお座敷を設けたんです。4部屋の個室を備えています。全盛期の頃、ミナミに5、600軒あったお茶屋も、今では1軒だけになりましたね。だから低料金にして、利用客を増やしたいと思っています」(初代の谷川恵美子さん) 二代目の恵さんが“若旦那”としてお店に入るようになったのは2002年のこと。「お茶屋は、寺社の門前などで湯茶を提供したのが始まりです。販売するのは女性のほうがよい、飲食もできたほうがよい、さらに唄や踊りも提供しようと発展してきました。始まりが料理屋ではないため、現在でも板前は置いていません。客の好みに応じて、懐石、松花堂弁当からたこ焼き、お好み焼き、カレー、ラーメンまで、ほんとに何でも取り寄せることができます。利用に決まりはなく、食事会、マージャン、稽古場など、要望に応じてアレンジしています」(谷川恵さん)