36歳と13歳の不倫とその後『メイ・ディセンバー ゆれる真実』トッド・ヘインズ監督「映画とは自身の価値観を問うもの」
アメリカで実際に起きた34歳の女性教師と12歳の少年の情事をセンセーショナルに脚本化して注目を浴び、本年度アカデミー賞の脚本賞にもノミネートされた映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』。監督のトッド・ヘインズに、本作に込めた思いと意図を聞いた 『メイ・ディセンバー ゆれる真実』批判にさらされながらも子供三人を育てあげ幸せな家庭を築いたかのように見えたが(写真)
「予算はとても少なくて撮影には23日しかかけなかった。大きな予算がとれなかったのは、なぜか分からない。主人公が女性だったからかもしれないし、テーマのせいかもしれないし、大勢が観たいと思わない映画と判断されたのかもしれない。でも僕は観たいよ!」と告白するのは、トッド・ヘインズ監督。彼と、主演を務めたジュリアン・ムーアとの5度目の共作となるのは、全米を騒然とさせたメイ・ディセンバー事件を基にした『メイ・ディセンバー ゆれる真実』だ。 【本作のあらすじ】 全米を震撼させたメイ・ディセンバー事件(1996年、教師のメアリー・ケイ・ルトーノーは夫と子どもがいる身でありながら、当時12歳だった少年ヴィリと不倫し、1997年に情事が発覚。懲役7年の実刑判決を受けるが、少年との間の子どもを身ごもっており、服役中に出産。1999年に夫と正式離婚し、出所後の2005年にヴィリと結婚、新たな家庭を築く。その後2018年にヴィリが申請し離婚が成立)を題材に取り、事件の発端から23年後を舞台に、メアリー・ケイをモデルとする主人公グレイシー(ジュリアン・ムーア)の半生を映画化するというところからストーリーが始まる。作中の映画でグレイシー役を演じることになっている女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)が、役作りのためにグレイシー本人や周囲の人々を取材、リサーチしていく中で、事件の真相をさぐるエリザベスの心情にも変化が訪れる──。 未成年の生徒と女性教師の情事が全米を震わせたこの事件は、英国でも舞台監督リチャード・エアーが『あるスキャンダルの覚え書き』(2006年)として映画化したほど。こちらは舞台を英国に移し全く異なる物語に仕上げた点が興味深いが、本作『メイ・ディセンバー ゆれる真実』はヘインズ監督による解釈、ヘインズ・バージョンとなるのか? トッド・ヘインズ(以下、ヘインズ): 僕の解釈というより、脚本家サミー・バーチの解釈と言えるかな。本作のほうが実話に近い。渦中の人メアリー・ケイ・ルトーノーは、たぶんアメリカ国内以外では無名かもしれない。本作の設定は事件の発端から23年後で、当時を振り返り一体何が起こったのか? メアリー・ケイを投影した映画の主人公グレイシーとかつての少年が結ばれて誕生した家族の周りに壁が築かれ、周囲の人たちから孤立してしまった状況に目を向ける。その距離感をこの映画で突き詰めたかった。世間からの過酷な批判を受けて、家族はどんな生活をしていたのか、いかに彼らが団結し努力したか。いかに家族として普通の生活を送ろうとしたかなどを描いた。 『エデンより彼方に』(2002年)や『キャロル』(2015年)など、これまで女性主人公に寄りそった名作を生み出してきたヘインズ監督だが、本作ではあえて女性主人公の行為に疑問を投げかける。 ヘインズ: 本作の軸となっているのは、女性の欲望だ。それに対し男性がどう応えようとしているか。これは非常にまれなテーマだ。女性を主人公とした僕の過去作と比べると異なる。例外があるとすれば、本作とテレビドラマ『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』(2011年)だろうな。この2作では主人公の女性が手に職をもち様々な生活の問題に直面することになるが、これらの作品では女性が能動的で、男性が受動的、という点が興味深い。 映画の制作が始まった段階では、実際の事件とメアリー・ケイという人物像からは距離を置いて、本作の主人公グレイシーというキャラクターを中心にストーリーを作り上げていこうと考えていたという。しかし──。 ヘインズ: 最初はメアリー・ケイについて意図的に避け、脚本に焦点を置いて、実際の事件とは別に、映画が独り立ちできるようにしたかった。しかし主演のジュリアンに「ドキュメンタリーを絶対見てほしい、メアリー・ケイはすごく複雑な人なのよ」と言われてね。それで改めて彼女について調べたんだ。そこで僕が感じたのは、男性社会だからこそメアリー・ケイのような女性は非難される、女性は失敗したら許されないような社会だからだ──ということだった。社会は男性にだけ寛容だから。彼女にはそういったことは頭になく、欲望のままに動いた。あと数年待ったら彼が未成年扱いではなくなり、問題にならなかっただろうから。 映画を通して疑問が疑問をよび、緊張が全編を通して持続する。それは何もかもが不明確で霧に包まれているかのようだからだ。彼らの夫婦関係については、こう洞察する。 ヘインズ: 二人の関係は任意的な関係でもある。彼女は服役し社会への義務を果たした。出所してから彼らは長い時間をともに過ごした。家庭を築き、健全な二人の娘(映画では二人の娘と一人の息子)も育てた。その点から考えても、この事件の全体像は霧に包まれている。彼女は権力を駆使したし、無謀だった。若く男らしい王子様に救ってもらいたいと願う王女のようなファンタジーの中にいた。そして自分が権力を行使している位置にいるという事実を偽り、彼の意向に応えたというふりをした。それが彼女のファンタジーだった。それにも拘わらず、家庭を築き、関係は生き延びたんだ。 彼女を追うことで、映画を観る者はモラル的判断を強いられる。その点で異例の作品と言えるだろう。また、ジュリアン・ムーア演じるグレイシーと、彼女のスキャンダラスな人生を映画化するにあたりグレイシーを観察・取材するのがナタリー・ポートマン演じる女優エリザベス。二人の大物俳優がお互いの心を探りながら接触する緊張関係を、洞察力あふれる演技で表現するのも見逃せない。 ヘインズ: 最初にスクリーンに登場するそれぞれのキャラクターの第一印象が、物語が進むにつれて壊れ、別のものになっていく。キャラクターの持っている一途さがとてもエキサイティングなんだ。エリザベスが役作りのためにグレイシーの身辺をリサーチしているのを見ながら、観客は自分自身のモラルに問いかけることになる。まるで自分自身を尋問しているかのようなんだ。初めに脚本を読んだとき僕はそう感じた。それをこの映画で再現したかった。現代は誰もが確固としたモラル感を持っていると感じている。映画を観るにしても、その価値観によって同意したり否定したり……けれど、この作品ではそれができない。映画とは僕にとってそういうものだ。自分の価値観に問いかけてくれる。 トッド・ヘインズ 1961年、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。『ポイズン』(1991年)で長編映画監督デビューを飾る。ジュリアン・ムーア主演、1950年代のメロドラマを再現した『エデンより彼方に』(2002年)でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の脚本賞などにノミネートされ脚光を浴びる。その後も、ボブ・ディランの半生を描いた『アイム・ノット・ゼア』(2007年)でベネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞。1950年代のニューヨークを舞台に女性同士の恋愛を描いた『キャロル』(2015年)でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の多数の部門でノミネートを果たしている BY YUKO TAKANO
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』 7月12日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開