富士山と宗教(5) 現代の先達「皆のためになることをするのが富士講」
「病院に就職しゴミ取りを30年間やった」
「みんなのためになることをしなさい、そういうことが富士講の教えなんです」。そう話すのは神奈川県横須賀市にある富士講、丸伊講の先達、斉藤義次さん。宝冠を頭に巻き、行衣姿で杖をついてカクシャクと歩く姿は、まさに富士講の先達そのものといった趣で、富士講にかかわるイベントや講演会などには必ずといっていいほど姿がある。今や富士講の「顔」ともいえる存在の先達だ。 父親が先達だったという斉藤さん。自ら富士講を信仰し活動をするようになったのは19才からだという。子供の頃は腕白でやんちゃだった。「足を怪我してしまい10カ月10日入院生活をしたんです。その時に働くことの大切さを実感しました。退院してからは生まれ変わったつもりで、その病院に就職しゴミ取りを30年間やりました」と話す。労働組合の活動も行い、裁判所のタイピストの待遇改善のために人事院にかけあったこともあったという。「病院の職員、看護士からレントゲン技師までみんながカバーしてくれた」と話す。
富士山に45回登拝しているという斉藤さん、富士講のリーダー、先達としての存在感は大きく、6月の富士山開山前夜祭では、富士講信者の先頭に立って北口本宮冨士浅間神社に向けて富士吉田市内を練り歩き、8月の吉田火祭りでは燃え盛る大松明のもとで祈りを唱えた。富士講の「顔」とも言える斉藤さんだが、丸伊講のある横須賀の地域にはかつては10以上もの講社があったというが、今は丸伊講のみ。しかも丸伊講を担っているのは先達の斉藤さん1人だけなのだ。 富士講の多くの信者が高齢化を口にし、現在、講社は姿を消しつつある。食行身禄の弟子、高田藤四郎より連綿と続く講社、丸藤宮元講とて例外ではないようだ。井田三郎さんは、丸藤宮元講の先達は自身が最後になるかもしれないと話す。江戸時代から続く大衆による富士山信仰は、現代社会の中で仄かに灯っているように見える。