日本にサヨナラ言えず…J助っ人から転身「本当に光栄」 異国へ捧げた“第2の人生”【インタビュー】
34歳で現役生活に幕、日本での第2の人生を決断
現役引退を発表したのは、昨年12月下旬。2022年に岡山から3年ぶりに松本へ復帰し、2年目を終えた頃だった。当時34歳。ベテランの域にあるとはいえ、まだ現役を続けられる年齢ではあったが、全盛期ほどのパフォーマンスができない自分に苛立ちを覚えてもいた。「選手としてのキャリアは終えよう」。そう腹を決め、視線を先に向けた。 「11月に引退を決意していました。あと1か月待てば、現役続行へのオファーが届いたかもしれないんですけどね。ただ身体がもう100%応えてくれなかった。思いどおりのプレーができなかったんです。なので次のキャリアに向けて、徐々に準備はしていました」 “第2の人生”をどう歩むべきか、あらゆる選択肢が浮かんだ。その1つに「松本山雅で仕事をしてみないか」との声も届いた。愛するクラブからの一声に、迷うことはなかった。何ができるのか真剣に考えた末、打診された強化担当スタッフ就任を快く受け入れた。「日本との縁を簡単には切れない」。パウリーニョの胸に、そんな思いが満ちあふれた。 「本当に光栄でしかないです。外国人選手が日本でプロ選手としてのキャリアを終えて、セカンドキャリアとしてJリーグのクラブで働くことってなかなかないと思うので。日本のサッカーはこれからもっともっと発展していくと思いますし、クラブの成長とともに、そうしたことにも携われたらもう最高に幸せなことだと思います」 Jリーグに助っ人選手としてやってきて13年半。日本で現役を終え、そのままクラブの裏方スタッフに転身するというケースは稀だ。“日本愛”がこうした異色のキャリアを生んだ1つであるのは言うまでもない。そんなパウリーニョには、現職を通じてやり遂げたいことがある。 有望な選手を発掘する強化スタッフとしての活動はもちろん、それは母国ブラジル人に対する“悪いイメージ”を払拭すること。母国から日本へやって来る選手には、日本の規律を守り期待どおりの活躍を見せる選手もいれば、独特な文化に馴染めず、自由奔放な振る舞いで孤立してしまう選手の姿も見てきた。日本とブラジルの距離を少しでも縮められればと、その言葉に並々ならぬ熱意を込める。 「日本に来るブラジル人選手の中には、文化の違いからそのキャラクターを理解してもらえなかったり、逆になかなか日本に慣れようとしなかったりするケースも多々ある。そうなるとお互いにギクシャクして悪いイメージがついてしまう。そこを少しずつ改善したいんです。性格的に日本にアジャストできるブラジル人選手ってたくさんいるんですよ。そういう選手を発掘して日本に連れて来たいなと思っています」 日本に“サヨナラ”を言えなかったブラジル人は今、母国を拠点に、松本の強化スタッフとして奔走する日々を送る。「チームに合うような良い選手、能力のある選手を今スカウトしてる段階です。これからセカンドキャリアとして次の結果を違う形で見せなくちゃいけない」。笑顔でそう語ったパウリーニョは、母国と日本との懸け橋となり、第2の人生を歩み始めている。 [プロフィール] パウリーニョ(パウロ・ロベルト・ゴンサガ)/1989年1月26日生まれ、ブラジル出身。メトロポリターノ―グレミオ―バスコ・ダ・ガマ(いずれもブラジル)―栃木SC―川崎フロンターレ―ジェフユナイテッド千葉―湘南ベルマーレ―松本山雅FC―ファジアーノ岡山―松本山雅FC。現役時代はボランチを主戦場に、闘争心あふれるプレースタイルで活躍。2023シーズン限りで引退を表明し、松本の強化担当スタッフに就任した。
FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓 / Akira Hashimoto