【陸上】追い風参考9秒台の柳田大輝、異例の“1日3レース”で手応え「やりたい動きができた」
<陸上:日本学生個人選手権>◇15日◇第2日◇神奈川・レモンガススタジアム平塚◇男子100メートル 昨夏のアジア選手権王者の柳田大輝(20=東洋大3年)が、準決勝で追い風3・5メートルの参考記録ながら9秒97をマークした。 追い風2・0メートルまでが公認記録のため、自身初の9秒台はお預けも、予選から決勝まで1日3レースを走破。パリオリンピック(五輪)男子100メートルの残り2枠を争う日本選手権(27~30日)へ弾みをつけた。 今月末までに参加標準記録(10秒00)を突破した上で同選手権で優勝すれば、初の五輪代表に内定。標準未突破でも、2位以内で代表入りが濃厚となる。 ◇ ◇ ◇ 準決勝のスタートラインに立った柳田は、落ち着いていた。9秒台を後押しするような風を肌で感じながらも、「タイムよりも動きの確認」と集中。前半で勢いに乗り、一気に駆け抜けた。 電光掲示板に9秒97と表示されると「よっしゃ!」と心が踊ったが、追い風参考のため公認記録とはならず。思わず顔をしかめたが、笑みもこぼれた。「タイムよりも、やりたい動きができた喜びが大きい」。確かな手応えがあった。 10秒23となった午前の予選後。「うまく足が出せていない。前足だけに重心がかかっている」と、スタート時の足幅を修正した。前に置く左足とスターティングブロックにかける右足の距離を約10センチ短縮。冷静に自己分析し、昨季の好調時のスタイルに戻した。その調整が奏功し、準決勝では好走。「『これをすればいい』というのが明確になった」と確信を手にした。 重圧を振り払うような走りだった。日本陸上界のホープとして名をはせ、群馬・館林一中3年時の全日本中学選手権では100メートルで2位、走り幅跳びで優勝。東農大二高に進学後は大きなストライドを生かして短距離に注力し、高2から4年連続で日本選手権の決勝に進んだ。昨年7月以降で日本歴代7位タイの10秒02を2度も記録。今月末の日本選手権では優勝候補筆頭に挙げられるまでに成長した。 幼少期から何事にも動じない性格ではあったが、五輪が懸かった今季はプレッシャーも感じていた。5月下旬のダイヤモンドリーグ(DL)ユージン大会(米国)で10秒26の8位となった後。帰国すると、家族に「なかなか寝れない」とこぼしたこともあった。 20歳にして、立場は追われる側にある。重圧にさらされながらも、前を向き続けてきた。DL後は冬季練習さながらのウエートトレーニングで体を鍛え直した。筋肉痛におそわれつつも、「力強さが戻ってきた」と本来の走りを取り戻していった。その積み重ねが、この日の走りにもつながった。 ただ、柳田はここで終わらなかった。準決勝までの2レースで気分よく1日を終える選択もあった中、さらに3時間後の決勝にも出場した。ケガのリスクは承知の上だったが、準決勝でつかんだ感覚を研ぎ澄ませたかった。「体も動いていた。練習も兼ねてやろう」。自らの判断で異例の“1日3レース”に出場し、10秒13で優勝した。 約2週間後には五輪切符を懸け、日本選手権に臨む。シンプルな言葉に決意を込めた。 「しっかりと代表の切符を取りたいです」 誓った表情は、自信に満ちていた。【藤塚大輔】 ◆柳田大輝(やなぎた・ひろき) 2003年(平15)7月25日、群馬・館林市生まれ。小学生で競技を始め、館林一中を経て19年に東農大二高に進学。高2から4年連続で日本選手権100メートル決勝進出。22年に東洋大に進学し、同年世界選手権400メートルリレー代表。23年世界選手権100メートルで準決勝進出。父輝光さんは東海大で3段跳び、母昌代さんは日本女子体育大で7種競技の選手。183センチ、78キロ。