「日本」は「一神教の国」でも「多神教の国」でもない…あまりに不思議な「その実態」
日本文化はハイコンテキストである。 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する! 【写真】じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」 *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
多神多仏の国
日本は一神教の国でもなく多神教の国でもなく「多神多仏の国」です。神国でもなく、仏国土でもありません。そのように主張した人々はいましたが、その思いや狙いはべつとして、結果として多神多仏なのです。 その「結果として」は、けっこう昔からのことでした。8世紀や9世紀に神宮寺ができて、神前読経が始まったころから(神の前で仏教の経典を読んでいたのです)、多神多仏なのです。八百万の神々がいるだけではなく、そこに仏教、道教、民間信仰のイコン(聖像)たちがまじりあってきた。石ころも鰯のアタマもまじってきた。 そのせいか、「日本人の宗教観はよくわからない」「はっきりしない、どうもあいまいだ」とはよく言われてきたことでした。たしかに一人ひとりの宗教観はわかりにくいし、家の宗教(宗旨)もはっきりしない。神道なのか仏教なのかと聞いても「ま、両方ですかね」などという答えです。 しかし、こんなふうになっているから「多神多仏の国」だというのではありません。もとより多神多仏なのです。 多くの日本人は結婚式では神主さんの前で三三九度の杯をかわし、葬式ではお坊さんを呼んでお経を誦んでもらって、仏式になります。神棚と仏壇が両方ある家も少なくはない。また仏壇がなくとも、たいていの家にはお数珠は用意されている。 年末年始になると、きっとあまり意識せずにそうしているのでしょうが、日本人は大胆な行動に出ます。クリスマスをやって商店街のジングルベルを何十回も浴び、年の瀬には煤払いをしてお節を用意し、門松を飾って、除夜の鐘を聞き、正月には初詣で神社やお寺に行くのです。その初詣の人口は平成年間平均で8000万人を超えています。統計データでは平成20年(2008)が9818万人の最高記録になっている。 ちなみに平成20年の全国初詣トップテンは、(1)明治神宮(東京)、(2)成田山新勝寺(千葉)、(3)川崎大師平間寺(神奈川)、(4)伏見稲荷大社(京都)、(5)鶴岡八幡宮(神奈川)、(6)熱田神宮(愛知)、(7)住吉大社(大阪)、(8)浅草寺(東京)、(9)武蔵一宮氷川神社(埼玉)、(10)太宰府天満宮(福岡)、というふうになっています。 けれども残念ながら、それらの神社仏閣の御祭神や本尊について言える人は少ないはずです。熱田神宮は? 氷川神社は? そういうことには無頓着なのです。信心深いのか、テキトーなのか、どうにも一貫していない。