美人ポスターも登場、ビールの名前が駅名になった!
駅名はヱビスビールから
恵比寿の駅名はビールの商品名が由来だ。いまもサッポロビールの上級ブランドと位置づけられるヱビスビール。この製品の出荷用に、当時の荏原(えばら)郡三田村(現在の目黒区三田一丁目)の製造工場そばに開設された専用の貨物駅が、ビール名を採って「恵比寿停車場」と命名され、1901(明治34)年2月25日に営業を開始したのである。 【写真】美人ポスターの謎 サッポロビールの源流は1876(明治9)年に札幌に開かれた北海道開拓使麦酒醸造所にさかのぼるが、これが民間に払い下げられ、1887(明治20)年12月、札幌麦酒会社の誕生へとつながる。 一方、ビール事業の将来性に期待した東京周辺の中小資本家は、同年9月に日本麦酒醸造会社を設立し、玉川上水の分流・三田用水を工業用に使う目論見のもと、三田村に工場を建設。縁起のよい恵比寿神にあやかった「恵比寿ビール」を、1890(明治23)年2月に発売した。品質の高さが評判を呼び、銀座に出したビヤホール人気も相まって売行きは好調であった。 当初は工場の門前から馬車で出荷していたというが、すぐ横を通る日本鉄道会社の品川線に着目。目黒-渋谷間の中間地点である渋谷村広尾に貨物積卸場を設けるべく用地購入や土地の造成、停車場事務所の建築など準備を整えて、専用駅の設置にこぎつけたのだ。 貨物専用駅として開業した恵比寿駅【サッポロビールのホームページより】 日本麦酒は1895(明治28)年ごろより、さらなる工場の拡張に着手する。現在の目黒区と渋谷区にまたがる用地を買収し、1900(明治33)年時点で、その社有地は約3万坪に達した。従業員も増えて工場周辺一帯の都市化が進み、1906(明治39)年10月30日、恵比寿駅は渋谷寄りに700mほど移転のうえ、旅客の取扱いも開始したのである。なお、この二日後の11月1日、日本鉄道は国有化されて、経営していた各線は国の鉄道作業局が所管する路線となった。 ビール業界はその間、札幌麦酒、日本麦酒(恵比寿ビール)、ジャパン・ブルアリー(麒麟ビール)、大阪麦酒(朝日ビール)の4社が激しい競争を繰り広げたすえ、1906(明治39)年に札幌・日本・大阪の3社が合同して大日本麦酒を結成した。しかし同社は、太平洋戦争後の企業分割で、1949(昭和24)年に日本麦酒と朝日麦酒へ再編され、「サッポロ」と「ヱビス」ブランドを受け継いだ日本麦酒が、1964(昭和39)年にサッポロビールと商号変更したのである。