世界では薬物注射による死刑執行が主流となりつつあるなか、なぜ日本は今も絞首刑を続けているのか
150年前の規定に基づく絞首刑の設備や手順
刑場には事前に依頼しておいた仏教、神道、キリスト教などの教誨師(きょうかいし)によって読経などが行われたり、遺書を書いたりする教誨室が隣接しています。 戦後すぐは各刑場に新聞記者が入って取材することが可能だったようで、私も1947年に『名古屋タイムズ』が名古屋刑務所の刑場を取材した記事と、同年の『アサヒグラフ』に掲載された広島刑務所の刑場に関する記事を確認しました。 また、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の検閲により公表禁止とされましたが、読売新聞が名古屋刑務所の刑場を取材して記事を作成しています。 67年には田中伊三次法務大臣が東京拘置所を視察し、記者に刑場を公開したとされています。 2010年に当時の千葉景子法務大臣が死刑執行に立ち合った後、報道機関に対して東京拘置所の刑場を公開しましたが、それ以降は全国に7カ所ある刑場のいずれも公開されていません。 執行に誰が立ち合うかは法律で決まっています。これは拘置所の所長や検察官、検察事務官などで、実際に死刑を執行する拘置所の刑務官も含まれます。 法的に正当な裏付けがあるとはいえ、刑務官の方たちには人を殺すという、非常に重い仕事をお願いしていることになります。 ならば、この方たちにどのような待遇をし、どのようなケアを行うかについて、もっときちんと考えなくてはならないはずですが、そもそも議論の叩き台となる情報が何も開示されていない。これは大変な問題だと思います。
絞首刑に発生しやすい「うまくいかない執行」
さて、日本で絞首刑が続いているのは、1955年に最高裁判所が「絞首刑は合憲」として以来、アップデートがなされていないからです。 諸外国では執行方法をはじめ、死刑に関するさまざまな議論が行われてきましたが、日本では情報がほぼないため、議論すらできない状態が長らく続いています。 死刑が執行された場合は、執行後すぐに「死刑執行始末書」というものが作られて法務大臣に報告されるのですが、これを開示請求しても、重要な部分のほとんどは黒塗りされています。 そこで私はGHQ/ SCAPが収集し保管していた記録に着目、そこから日本における絞首刑の実態を調べることにしました。 記録の原本はアメリカの国立公文書記録管理局に所蔵されており、それをマイクロフィッシュで複写したものが日本の国立国会図書館憲政資料室に収蔵されているのです。 私が入手したのは戦後すぐの百数件についての死刑執行始末書ですが、基本的に今も同じ方法で死刑が執行されているのですから、資料として大いに参考になります。 そこには執行日や立ち合い者の名前、遺体の取り扱いや存命中の通信についてなどが書かれていました。 中でも重要なポイントが、執行の所要時間が記載されていたこと。床が開き下に落ちて首に縄がかかってから死亡が確認されるまでに平均で14分余り、長い場合は22分かかっているということが分かりました(拙著『GHQ文書が語る日本の死刑執行』現代人文社)。 絞首刑の場合はうまくいかない執行が発生しやすく、時間もかかる。苦しみながら亡くなることも多いと想像されます。 また、実際には被執行者の死亡が確認された後、法律の規定により5分間はそのままの状態で置かれることになっていますから、その間に遺体も汚れてしまいますし、現場で執行に立ち合う刑務官の人たちにとっても負担はかなり大きいはずです。 そんなこともあり、死刑そのものの是非を争う議論や裁判の中でも、「死刑はともあれ、絞首刑は違憲なのではないか」というものが、ここ10年ほどの間にしばしば上がってくるようになりました。 2011年にオーストリアの法医学者、ヴァルテル・ラブル博士が大阪地裁で弁護側証人として出廷、絞首刑は数分間にわたって意識が喪失せず苦しむことや、頭部が離断することがあるなどといった証言をしたこともあります。 ただ、今のところ日本では、絞首刑は日本国憲法36条で定める「残虐な刑罰」には当たらないとして存続していますし、見直す動きはありません。 実際にアメリカで執行を見てきた知人の記者に話を聞くと、薬物注射による死刑の所要時間は2~3分で、被執行者が苦しむ様子もなく終わったそうです。 それなのになぜ、日本は絞首刑を続けるのか。あくまで私の推測ではありますが、「絞首刑をやめて薬物注射にするとすれば、判断材料として死刑の実態を明らかにしなくてはならなくなる。 そうすると、死刑そのものの是非を問う議論が起きてしまうのではないか」と法務省は懸念しているのかもしれません。