オーディション最終審査に挑戦…!「フィリピン」から日本にやってきた”アイドル”が最も「困ったこと」
もう無理だ……
お願いお願い、と心で必死に呟きながら、続きを見た。 指先が動かなくなっていき、スクロールも更に遅くなった。もはやもう見たくなかった。 7位...じゃないどうしよう、8位......じゃないもう無理だ.......9位じゃないと............ああ、終わったかもしれない。 そして絶望的な感情で2センチ程指を動かし、画面の下の方を見た。 その時、私は私と目が合った。自分の顔の半分がこちらを覗いていた。 あれ? ひと思いにスクロールすると、そこには私の写真があった。 10位、五十嵐早香、999票。 思いっきりドアを開け、叫びながらダイニングに走り、両親と盛大に喜んだ。その日の夕飯はとても豪華だった。 12月から1月にかけてフィリピンは一番涼しい乾季で、ベランダに出ると星でいっぱいになった夜空が綺麗だった。 Tシャツだと夜は肌寒くて、なにか羽織るのも面倒だしすぐ部屋に戻ろうと思った。ただふと、日本はきっと今頃もっと寒いんだろうかと考えるともう少しだけそこで妄想をふくらませたくなり、私はニヤつきながらしばらく星を眺めた。 その後はうかれる暇もなく、日本に説明を聞きに再び呼び出された。今回は父と二人で向かった。
日本に来て困ったこと
面談を受けると、今月中に名古屋に引っ越してほしいとのことだった。つまり2週間後には既に引越しを済ませていなくてはならない。 1人なら1週間でも楽だと思ったのだが、なぜか両親まで一緒に引っ越すと言い出したので焦った。急いでフィリピンに帰り、1週間で身支度を済ませ、6年間過ごした場所に別れを告げた。とはいえ流石に手続き等残っていたので、ひとまず先に父と二人だけで行くことになった。 日本に本格的に拠点を置いて色々と手間取ったことはあったし、思春期を過ごしていない国で分からないことだらけだった私はかなりの問題にぶち当たったが、まず初めに困ったことが「寒さ」だった。 真冬を体験するのは小学生の時以来だったので、寒さのしのぎ方が分からなかったのだ。今であればヒートテックを着たり、ダウンを買ったりと当たりまえだが、当時の私はヒートテックという特殊化学繊維でできた魔法のようなアイテムがあることも知らなかったし、どんなタイプのジャケットが暖かいかも知らなかった。 何故か両親も教えてはくれなかったので、当時フィリピンで着ていたうっすいジャケットなどを重ね着していた。 重ね着していて見た目はコロコロの雪だるまのようだったが、嘘みたいに寒かったのを覚えている。もちろん手袋やマフラーの偉大さも知らなかったので、持っていなかった。 話し始めると長くなるややこしい話だが、引っ越した部屋はまだガスも通っていなければ家具一つなかったので、ダンボールの上で冷たくなったお弁当を父と食べたりもしていた。Wifiもなく携帯も契約できてなかったので、父とよくカプセルホテルに避難した。カプセルホテルは引越し先よりも暖かい心地がよくて、いつでもお風呂に入れてwifiが使える、私達のオアシスだった。 第9回に続く…
五十嵐 早香(モデル・タレント)