平安貴族・藤原道長は意外にも今日本人を悩ませる現代病に苦しめられていた⁉
医療の発達していなかった平安時代、人々は様々な病気で苦しんでいたが、藤原道長(ふじわらみちなが)は、現代人をも苦しめるある病気と闘っていた。 とにかく喉が渇き大量の水を飲む。その結果トイレに足繁く通うことになる。さらに食欲はあるのに体重が落ちてきて、気が付くと痩せている。そして体がだるく、目がかすんでくる……。そんな症状で苦しんでいるという方も多いのではないだろうか。これは、糖尿病の典型的な症状だそうだ。血糖値が高くなり、排出される尿が砂糖のように甘いにおいがすることから糖尿病と呼ばれるようになったという。かつて糖尿病は、ぜいたく病といわれていたことがあったように、大量の酒を飲み、たくさん食べ、あまり運動しないことが原因のひとつといわれている。 第二次世界大戦以前の日本には少なかった。しかし、高度成長期を経て豊かになったため、平成28年(2016)には、糖尿病を疑われる人が2000万人、日本人の6人の1人というとんでもない数字になっている。と書くと糖尿病は、現代人の病気かと思われるかもしれないが、実は、平安時代から多くの人を苦しめていた病気でもあった。 紫式部の雇い主であった藤原道長もその1人だった。父親の道隆(みちたか)も糖尿病を患っていたと考えられており、親が糖尿病だと発病のリスクが高まるというから、なりやすい体質だったのだろう。 紫式部(むらさきしきぶ)の小説『源氏物語』の主人公である光源氏(ひかるげんじ)は、光輝くようなイケメン。藤原道長はそのモデルの1人ではないかとされており、若い頃は光輝くとまではいかないまでも美男子だったようだ。それが「紫式部日記絵巻」には、太って動きが緩慢そうな男として描かれている。 当時の貴族たちは大量の酒を飲み、飽食の限りを尽くしたというから、その結果なのだろうか。50歳を越えたころから喉の渇きを訴え、しきりに水を飲むようになった。その飲み方が半端ではない。京都六条にあった源融の屋敷河原院から帰る途中でも喉の渇きを覚えて水を飲み、阿闍梨(あじゃり)というから高位の僧侶のありがたいお話の最中にも、水を飲むために中座したという。我慢できないほどの渇きをいやすために大量の水を飲むことから、この病は飲水病と呼ばれていた。 ただ水を飲むだけならば、糖尿病とは決めつけられない。しかし、他人から見ても明らかに顔色が悪く無気力なのに食欲は衰えない。典型的な糖尿病の症状だが、当時の医者たちはこれを熱のせいだと考えていた。道長はこの強烈な渇きを止めようと杏(あんず)をなめたり、葛(くず)の根を服用したりしたという。周りの人々は、葛は飢餓の時に貧しい人々が食べるものなのに、摂政が口にするなんてと笑ったとされるが、そこには、人の目を気にしていられないほどの渇きに苦しんでいた姿が目に浮かぶ。 さらに、病状が進みやせ始め、目もかすんできた。今でも糖尿病を患い失明する人がいるので、他人ごとではないという方もいるのではないだろうか。さらに道長は、しばしば激しい胸の痛みを訴え、時には苦しくて叫び声を上げることもあったという。 糖尿病と心臓疾患とは直接の関係はないが、大量の酒を飲み、飽食を極めるという生活を送っていれば、心臓にも負担がかかる。糖尿病と心臓病という生活習慣病にむしばまれているころ、かの有名な「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思えば」という歌を詠んだ。これには様々な解釈があるが、この世の栄華を手に入れたと思わなければやっていけないほど、この時道長は病気で苦しんでいたのかもしれない。
加唐 亜紀