マシンガンズが語る、売れない芸人半生「滝沢が就職して終わっていくんだなと、諦めがありましたね」
25年以上の芸人人生で酸いも甘いも噛み分けてきたマシンガンズの2人。2023年に開催された第1回『THE SECOND~漫才トーナメント~』の準優勝を経て、再ブレイクの兆しを見せている。そんな2人にこれまでの芸人人生を改めて振り返ってもらいつつ、書籍『もう諦めた でも辞めない』(日経BP)の出版の経緯を聞いた。(前後編の前編) 【写真】書籍『もう諦めた でも辞めない』を発売したマシンガンズ ──最初の芸人としてのブレイクは2007年放送の『爆笑ピンクカーペット』(※『爆笑レッドカーペット』の深夜版)でしたね。当時の心境はいかがでしたか? 西堀 気分の高揚はすごかったですね。初めてネタでちゃんとテレビに出られて、やっという感じでした。 滝沢 『ピンクカーペット』は1分という短い時間だったんですけど、1分でもネタをやれたというのは、芸人になってからの目標なので嬉しかったですね。 西堀 初めて“自称芸人”から抜け出たんじゃないですかね。 ──芸人としての手応えもあったんでしょうか? 滝沢 もう芸人を辞めようと思っていて、ダブルツッコミに挑戦してみたらウケたんですよね。そこから『太田プロライブ』でも7~8か月くらい連続で1位になって、これはいけるなとなって、希望に満ちていましたね。 西堀 僕らにとって初めて人前でウケるという手応えをつかんだ時期。自信つきましたよね。 ──ただ、そこから大ブレイクというわけにはいかず、一度お笑いブームが下火になりました。 西堀 これは後に気付くんですけど、当時は焦っていました。 滝沢 次の段階に進めないぞと。同時期にネタで出てきた周りの芸人は『踊る!さんま御殿!!』とかに出ているけど、自分たちは呼ばれていなくて。なんで呼ばれないんだろうと理由も答えもわからないし、その時点では焦っていました。 ──当時、その状況を打破するような動きはしていたんでしょうか? 西堀 それがしていないんですよね(笑)。努力も研究もしていないし、気は焦っているけど、どうしたらいいかわかっていない。打開策とかこうしようとかは話していなかったよな? 滝沢 先輩には相談したかもね。ダチョウ倶楽部さんとか劇団ひとりさんとか。ただ、答えはなかったりするし、実践したとしても結果につながるわけでもないので難しいですよね。