星野監督は「グッとこらえて我慢した」 コーチを叱って選手にご褒美…楽天・日本一の裏側を“弱小校出身”元プロが語る
中学時代は公式戦0勝、高校時代は同級生が2人だけの弱小校。そんな経歴にもかかわらず、プロ野球選手として活躍した元東北楽天ゴールデンイーグルスの聖澤諒さん。 【写真を見る】「楽天イーグルス」のユニフォームを着て都内の書店でファンとのイベントを行った聖澤さん 9月11日に初めての著書となる『弱小チーム出身の僕がプロ野球で活躍できた理由』(辰巳出版)を出版しました。そのなかでは、野村監督や星野監督や野村監督、田中将大投手と のエピソードや球団初の日本一など、現役時代の話も多く語られています。 そんな聖澤さんに現役時代のお話をさらに深掘りして聞いてみました。
ラフな会話で選手たちと接してくれた星野監督
――書籍では2013年、球団初の日本一についても書かれていますが、そのときの監督は星野仙一氏でした。どのような印象を受けましたか? 僕も最初は世間一般で言われている「怖い」イメージを持っていたのですが、実際はそんなことはありませんでした。試合中にミスがあったり、点数取られたあとでも、グッとこらえて我慢してるように見えましたね。時代に合わせて星野監督も変化していったのだと思います。 ただ何年か経って、そのときのコーチに会ってわかったことなのですが、試合後のコーチミーティングでは、星野監督からかなり怒られていたみたいです(笑)。たとえば選手の打撃が悪いときはバッティングコーチが代表して怒られる…みたいな。選手直接ではなく、ひとつクッションを置いて、選手たちにはやりやすい環境をつくってくれていたのだと思います。 ――闘将というイメージとは少し違っていたんですね。 星野監督は試合が始まればグッと気持ちが入っている雰囲気でしたけど、練習中や移動のときは「昨日、何食べたんだ?」とか、そんなラフな会話で選手たちと接してくれました。そのあたりは当初のイメージとは違ったなって思いましたね。 ちなみに、活躍できた2011年(52盗塁)、2012年(54盗塁で盗塁王・得点圏打率12球団1位)のときはご褒美として時計をいただいたのを覚えています。 ――日本一になったシーズンですが、いつ頃からリーグ優勝を意識したのでしょうか? ラスト1カ月くらいだったと思います。最終的には7ゲームくらいの差がつきましたけど、選手たちはそれを安全圏だとは感じていなかったですね。やっぱり追われるつらさっていうか、いつか自分たちが連敗したときに向こうが連勝してひっくり返されるんじゃなかという不安がありました。 首位になってもチーム内に楽観ムードはなくて、常に気を引き締めているような雰囲気があったと思います。目の前の一戦一戦をチャレンジャーとして臨んでいたのを覚えていますね。 ――そのシーズンは3番を打つことが多かったですよね。 それまでは1番を打つことが多かったのですが、星野監督からは「お前のいままでのプレーを見てきて、それを3番っていうピースにはめるだけだから“3番”のバッティングをするとか、振り回していくようなことはしなくていい」と言われました。打順が変わることで、自分を失わないでくれという話はされましたね。 ――田中将大さんの伝説の24勝0敗もありました。 田中の存在は、チームにとって大きな支えでした。チームの調子が悪いときでも、田中なら悪い流れを切ってくれるっていう安心感はいい意味で選手たちの精神的負担を軽減させてくれたと思います。 もちろん、田中で負けそうなときもありましたが、そのときは野手が奮起して勝ちにつなげたのも印象に残っています。あとマギーやDジョーンズといった外国人選手が打ってくれたのも大きかったですね。