国立科学博物館が困った「後継者がいない」 化石のレプリカ作り続けて50年、研究者らが惚れ込むレジェンド職人ついに引退
作業は基本的に手作業。紙に碁盤の目のように線を引いて、標本の寸法を測る。3Dプリンタなど新しい技術が登場してきたが「扱えたら楽なんですけど、全然できない。時代遅れも良いところだけど、昔流のやり方でしか作業していない」と苦笑いしていた。 そんな職人の技を支えていたのは筆やノミ、ヘラなど200種類を超える道具だった。工芸高校に通っていた頃から使っているものが大半を占めている。よく見ると不思議な形をした道具も多い。先端が曲がった筆、挟む部分に隙間の空いたペンチなど。手が入らない場所にも樹脂を届かせたり、少ない力で針金を曲げたりするため自分で改良したという。洋食用のナイフをヘラの代わりに使うこともあった。 最も思い出深いのは、国立科学博物館で展示しているフタバスズキリュウの全身骨格を復元した仕事だという。「博物館に持ってきた時はヒレも背骨も母岩が付いたままだった。そこから化石を外してクリーニングする作業も手伝えた。なかなか体験できない仕事だった」
巨大な化石で骨も多い。当時、東京・新宿にあった国立科学博物館の分館に作業場を構え、同時並行でいろいろな部位を複製していく。朝8時ごろから、遅いと夜8時ごろまで連日作業を続けて、数年がかりで完成させた。 他にもナウマンゾウや絶滅したクジラ、アンモナイト、縄文人の骨など数え切れないほどの標本の複製を手がけた。円尾さんは「通常はなかなか触れない実物の化石に接することができる。さらに背景を知ると、単なる仕事以上の喜びを感じる」とレプリカ製作の魅力を語り、21年の取材時には「できる限り続けたい」と意欲を見せていた。では、なぜ引退を決めたのか。 ▽体の不調、惜しまれながら引退 大きな理由は、体の不調だったという。目の調子が悪かったり、足がだるかったりして自分で思うような作業が難しくなってきた。「体がそんな調子なので、もう区切りが付いたのかなと思った」。関わりのあった研究者からは「もう少し頼みたい仕事がある」と言われたが、「もういいでしょう」と伝えて身を引いた。