そりゃ受かるわ…「底辺校・宅浪・2浪」から東大に合格した研究者が語る「独学で最も重要なこと」とは?
画期的な文章術の本として、いま大きな反響を呼んでいるのが『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(阿部幸大著/光文社)だ。アカデミック・ライティングとは、直訳すれば「学術的に書くこと」。つまり論文やレポートを執筆するための作法を指す。一見、ゴリゴリの学術書だが、そこには文章とはどうあるべきか、どのように考えれば「書ける」ようになるのかという、万人に開かれた技術と知恵が詰まっている――と語るのは、『独学大全』の著者である読書猿氏だ。読書猿氏をして「文章本は、この本以前/以降に分かれるだろう」と言わしめた同作の著者である、筑波大学の阿部幸大助教をゲストに迎えた対談(全4回)をお届けする。 【この記事の画像を見る】 第1回は『独学大全』著者が「画期的。誇張抜きで、文章術の教科書は、本書以前/以降に大きく分かれる」と驚いた一冊とは? 第2回は文章が書けないとき、どうすればいい?→ベストセラー著者2人の回答が衝撃的だった。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局) ● 「東大宅浪」時代の経験 ――今回は「独学」がテーマです。阿部先生は大学受験期に「宅浪(自宅浪人)」を経験されていますね。その経験から得た、独学の技法を教えていただけますか。 阿部幸大(以下、阿部) そもそも、情報もなにもない田舎から出てきたような人間が東大を目指して宅浪するなんて、とても勧められた選択ではありません。自分の実力をモニタリングすること自体が難しいので、かなり危険な行為です。独りで「やっている感」に満足してしまうと、永遠に浪人を続けることになりかねない。それが怖かったので、確実に学力が伸びていくような勉強の方法を模索していました。 そこで身に付けた能力のひとつは、参考書の使い方です。独学には参考書が必須ですが、世の中には無限に参考書がある。学ぼうとする対象の全貌を知らない人間が、その中から自分に必要な本を正しく選択するのは至難です。 もうひとつ重要なのは、いちどに取り組む参考書を1冊に絞ること。読書猿さんの『独学大全』にも「繰り返し読むことが、“読む”ということだ」と書かれていますが、未知の分野について学ぶには、1冊のすべてを自分のものにすることが極めて重要です。その「1冊」を間違えるとダメージも大きい。 なので、北海道の田舎から東京に出てきてからは、まず最初に信じるに足る1冊を間違えずに選ぶために、毎日本屋に通って市場調査のようなことをしました。店頭の参考書をパラパラとスキミングしながら、自分が学びたい分野について、「勉強の地図」をつくるのです。いわば「初期投資」として、ここに相当な時間を割くことが肝心。当時、『独学大全』のように学習法を網羅した本があったら、ぜひ手元に置いておきたかったですね。 ● 東大の入試問題を「分解」する 読書猿 そのような判断が18歳でできていたことが、まずスゴいですよね。多くの受験生は、人から勧められたものにあれこれ目移りすると思うんですよ。阿部さんの場合、自分で選んでいる。なぜそれができたんです? 阿部 当時そこまで言語化できていたかどうかわかりませんが……東大に行こうと思って、過去問を見て最初に思ったのは、広い意味での「国語」の比重が極端に大きいということでした。東大って問題文がすごく短くて、でっかい解答用紙に長々と文章を書かされる。どの教科もそうです。それはつまり、日本語力がなければ読み解けないし、解答もできないということ。なので、まずは言語能力を鍛える訓練をしないと絶対に勝てないと思いましたね。 読書猿 問題に答えようとする前に、まず「東大の試験問題とは何か」を考えるわけですよね。まさに、前回の対談に出てきた「分解して統合する」という作業であり、「◯◯とは何か」を問うことで実践知へ至る、阿部さんの今回の本にも通じる態度です。 そもそも普通の受験生には「何のためにこれをやるのか」という認識自体があまりないと思うんですよ。だから工夫する発想も生まれないし、工夫を取り入れたり組み替えたりもしない。物事やプロセスをメタに見て、分解可能だと捉える動機がそもそもないんです。でも、それこそが実は学問のスタート地点であるわけですよね。既存のものを「こういうもの」として受け取ってしまうと、何も始まらないし、続かない。何より、うまくいかなくなった時にどうしようもなくなる。 私自身、そういう発想ができるようになったのはデカルトを読んでからでした。それも、10代で読んだときはなんとも思わず、働くようになって、自分では解けない問題に突き当たったときに、ようやく「問題解決」という発想があることに気づいた。それでも、実際に分解や統合といった方法論が使えるようになったのは、もっと後のことです。 ● 「才能主義」を超えて 阿部 今の話でちょっと思い出したのですが、日本では、学部入学時点での偏差値がその人の知性の本質を示す数値のように扱われていますよね。一種の才能主義です。18歳あたりでタイミリミットがきて、その時点で入れた大学で「地頭」の限界が判断されるわけで、大学入学後に努力した人がより偏差値の高い大学院に行ったりすると「学歴ロンダリング」などと言われてしまう。 でも、宅浪して東大に行った経験からも、学生・教員・社会人の指導などをしていてもそうですが、人の能力はそんな特定の時期に測定される「才能」で決まるわけがないと私は確信しています。能力や学力はいつからでも伸びうるし、あるとき方法論がハマって、他人にはもちろん、本人にも予想できないような急激な成長を遂げたりするのが人間です。 読書猿 同意します。固定的な能力観の人と、能力は変わるものだと捉える学習観の人ではパフォーマンスも変わってくる。もちろん、「やればできる」と簡単には言えませんが、それでも「やり方」というものはあると確信しています。今回の阿部さんの本は、その「やり方はあるんだ」という世界観を示すものですよね。才能が生得的だというのはフィクションであって、頭の使い方には歴然とした方法がある。先人たちもその方法について相当に悩み、努力と研究を重ねています。それを無視する手はないと思うんですよ。。 20代、30代、40代で花開く人はいくらでもいます。また、そういう可能性がない世界は暗いし、つまらない。改めて、学ぶことは、独学は、いつからでも始められる、と言いたいですね。才能主義や偏差値主義に対しては反対の声を上げ続けていきたいし、それが『独学大全』を書いた者として、負うべき責任でもあると思っています。 (第4回に続きます。第1回は『独学大全』著者が「画期的。誇張抜きで、文章術の教科書は、本書以前/以降に大きく分かれる」と驚いた一冊とは? 第2回は文章が書けないとき、どうすればいい?→ベストセラー著者2人の回答が衝撃的だった) 阿部幸大(あべ・こうだい) 筑波大学人文社会系助教、日米文化史研究者 1987年、北海道生まれ。2006年、北海道釧路湖陵高校卒業。2年の自宅浪人を経て、2008年、東京大学 文科三類に合格。その後大学院に進学、2014年、東京大学大学院現代文芸論修士課程修了。2014年、東京大学大学院 英語英米文学 博士課程進学。その後渡米し、2023年、ニューヨーク州立大学にて博士号取得(PhD in comparative literature)。2024年~現職。『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』は初の単著。 読書猿(どくしょざる) ブログ「読書猿 Classic: between/beyond readers」主宰。「読書猿」を名乗っているが、幼い頃から読書が大の苦手で、本を読んでも集中が切れるまでに20分かからず、1冊を読み終えるのに5年くらいかかっていた。 自分自身の苦手克服と学びの共有を兼ねて、1997年からインターネットでの発信(メルマガ)を開始。2008年にブログ「読書猿Classic」を開設。ギリシア時代の古典から最新の論文、個人のTwitterの投稿まで、先人たちが残してきたありとあらゆる知を「独学者の道具箱」「語学の道具箱」「探しものの道具箱」などカテゴリごとにまとめ、独自の視点で紹介し、人気を博す。現在も昼間はいち組織人として働きながら、朝夕の通勤時間と土日を利用して独学に励んでいる。
読書猿/阿部幸大