『将来の夢=プロレスラー』に大人は反対 プロレス青年が抱いたもうひとつの目標「子どもの夢を応援する先生になりたい」
いきなりのルチャ・リブレ(メキシコプロレス)参戦となったが、標高2300メートルを超える高地のメキシコシティの空気は薄い。日常のトレーニングが高地トレーニングのようなものだ。晴斗希はまずこの空気の薄さと戦わねばならなかった。 「向こうはレベルも高かったですし。派手な動きだけでなく、マット上での細かい技も叩き込まれました。やっぱり、技をきれいに見せるっていうことはマット運動なんかの基礎が役に立ちました」 メキシコプロレスに臨むと、ここで器械体操の経験が生きる。コーチはすぐに、晴斗希がこれまでプロレスにきちんと向かい合ってきたことを理解してくれた。ここで彼はプロレスラーのライセンスを取ることを勧められる。 「ルチャ・ライセンスっていうんですけど、取りに行ったらどうだって。外国人選手は持っていなくても試合に出してもらえることもあるんですけど、やっぱりプロレス大国・メキシコの免状ですから受けに行きました」 基礎体力とランニング、簡単な組手のテストがあったが、この時は残念ながら不合格。それでも1試合、本場のリングにも立たせてもらった。このときのギャラはいまだに封筒に入れたまま残しているという。 約3か月の滞在を終えて、晴斗希は帰国。そして、道頓堀プロレスに入門した。2019年に大学生のままデビューをはたし、メキシコを再訪したときに見事ライセンスを勝ち取った。
パンデミックが産んだプロレスラーと先生の『二刀流』
大学卒業後、プロレスラー活動を本格化した晴斗希。まさにこれから、夢だった海外進出を――。と思っていた矢先にコロナ禍で渡航制限がかかった。おまけに身体接触型スポーツのプロレスは休止という状況。そこで、頭に浮かんだのが、もう一つの夢だった『先生』だった。 「子どもの頃、プロレスラーになる夢を持っていたんですが、あんまり先生方が応援してくれなかったんですよ。だから子どもの夢を応援する先生になりたいなって思って、教員免許も取ったんです」 大学時代、塾講師のアルバイトをしていたこともあり多少の自身はあったが、プロレスラーと教師の二足のわらじを認める学校などそうそうない。面接に次々と落ちる晴斗希に手を差し伸べたのは、多様性を是とするインターナショナルスクールだった。授業は当然のごとく英語。学業にもしっかり取り組んできた経験がここで活きた。