「こんなに痛いなんて、生きていたって仕方ないわ」『暮らしのおへそ』一田さんが両親の“老い”を前に考えたこと
仕事、健康、家族、介護、更年期……なんだか心配ごとだらけの人生後半戦。『暮らしのおへそ』編集ディレクターである一田憲子さんが、そんな「怖い」を少しずつ手放すトライ&エラーをつづったのが 『歳をとるのはこわいこと? 60歳、今までとは違うメモリのものさしを持つ』です。同書より、『「正解」の外にある「正解」』を抜粋して紹介します。(前後篇の前篇)。 【画像】親の老いは子供にとって「初めて」のことばかり
両親の「老い」の姿を目の当たりにして
私が企画編集を手がけるムック『暮らしのおへそ』で、「家族をケアするおへそ」という特集をつくることになりました。私自身が両親の老いを目の当たりにして、どうしたらいいかと途方に暮れたので、同じ思いをしている方々の小さなヒントになればいいなと思って……。 2年前、母が肩に人工関節を入れる手術をし、90歳になる父が自宅でひとりになるので、私がごはんを作りに東京と実家のある兵庫県を行ったり来たりすることになりました。専業主婦だった母は、家事の一切をひとりでこなし、昭和の男の父は、まったく手伝ったことはありません。 電子レンジでごはんをチンすることもできなければ、洗濯機を回すことさえできない始末。これを機に、このふたつは覚えてもらうことにしましたが、さすがに料理まではできません。そこで、私が1週間のうち半分を実家で過ごし、半分は東京へ戻って、まとめて取材などの仕事をこなすことになったというわけです。 これまでも、たびたび実家には帰っていたけれど、朝から晩まで一緒に過ごし、掃除、洗濯、料理などを手掛けて、「共に暮らす」経験をしたのは、25歳で家を出て初めてだったかもしれません。おろし金はどこにある? 洗濯物ってどうやって干す? 自分の暮らしとはまったく違う、母がつくった枠組みの中で家事をこなすことにクタクタになりました。パンとコーヒーとフルーツという簡単な朝食を用意し、食べ終わったら洗濯をして掃除をしていたら、あっという間にお昼になります。うどんやチャーハンなどを作って父と一緒に食べ、ひたすら繰り返す昔話に耳を傾け、食後昼寝をする父の横で、少し仕事を。あっという間に夕方になり、近所のスーパーに買い物に行って夕飯の準備。終わったら片付けて、また一緒にテレビを見て寝る。たったこれだけのことなのに、父の生活すべてが自分の肩にのしかかることが、こんなにも大変だなんて、思ってもいませんでした。 なによりつらかったのが、昔とはまったく違ってしまった両親の「老い」の姿を目の当たりにしたということ。ああ、こんなこともできなくなったのね。こんなに体力なくなったのね。これまで、実家に帰ると、何歳になっても「娘に戻ることができる」と感じていました。 親はいつまでたっても親で、子供を守ってくれる存在。そう思ってきたのです。その立場が逆転し、私が親を守ってあげなくてはいけなくなった……。そのことを受け止めきれなくて、苦しくてたまりませんでした。ほんの1カ月でしたが、私は4キロも痩せて、最近ではすっかりおさまっていた更年期障害の症状まで出てしまったのです。 無事母が退院してほっと一息ついていると、今度は脊柱管狭窄症の症状が出て、激痛が走ると言います。「もうこんなに痛いなんて、生きていたって仕方ないわ」。めったに弱音を吐かない母の言葉を電話の向こうに聞きながら、胸がつぶれるようでした。 なんとか仕事を片付けて、実家に帰ってみると、部屋のあちこちにホコリが溜まっていました。あんなにきれい好きで、部屋の隅々までピカピカだったのに……。こっそり雑巾で拭きながら、痛みを抱えながら一日一日を過ごしていた母の姿を思うと泣けてきました。